▼‘時事’ カテゴリーのアーカイブ

14.01.22

 うちの冷蔵庫が乗っ取られる?(><)

我が家の冷蔵庫はそんなハイテク家電じゃないので問題ナシなのですが、
企業向けのデータ保護サービスを手掛けるアメリカの会社が、こんな発表をしてニュースとなっていました。


【ITpro 1月22日配信記事より一部抜粋】

米Proofpointは現地時間2014年1月17日、テレビや冷蔵庫などのスマート家電から大量の不正メールが送信されたことを確認したと発表した。「物のインターネット」を利用したサイバー攻撃の最初の事例の1つだとしている。
Proofpointによると、10万台以上のスマート家電がハッキングされ、75万通以上のフィッシングメールやスパムメール送信に使われた。乗っ取られたスマート家電には、家庭内ネットワークのルーター、マルチメディアセンター、インターネットテレビ、そして少なくとも1台の冷蔵庫が含まれるという。

****************************************

このように、ネットにつながるいわゆる「スマート家電」は、PCに比べてセキュリティが手薄で(利用者にも危機意識は薄く)、簡単に不正侵入されてしまう可能性があるということは、以前より指摘されていました。

まさに、まさに、この本、に書かれていることではないですかーーー!!!

ネットセキュリティの社会情報学
どうする?スマート家電を狙う脅威!メーカーが負うべき責任は?

大手電機メーカー(パナソニック)で、長年ネット家電プラットフォームの開発・運営、セキュリティ問題に第一線で携わり、大学での研究も行ってきた著者。
極めて実務的かつ理論的な問題解決アプローチです。

余談ですが・・・
書きながら「“ハイテク”って死語?」と思ったのですが、でも「ハイテク株」とか今でもいいますよね?生きてるってことでOKですよね??

14.01.21

 ビバ(VIVA)!物流!

お久しぶりでございます。

本にCD、家電に食料、日用品・・・。
スマホ依存とは無縁なものの、ネットと宅配には激しく依存しているもっちです
Amazonが新たに取得した特許が斬新すぎると、今朝のニュースで話題となっていました。
それは顧客の注文前に商品を発送してしまう「予期的な配送」というもの。
少し前には、無人ヘリでの配送計画を発表していましたよね。

それはそれで面白そうだなと思うのですが、もう少し現実的な物流システムとしてご紹介するのが、近年注目されている「サプライチェーン・ロジスティクス」です。

CPS事例にみる先進型サプライチェーン・ロジスティクスマネジメント

豪華執筆陣が、研究者・経営者・消費者それぞれの立場から多角的に評価・解説されています。

13.12.11

小津安二郎監督、没後50年を前に<2 映画感想>

「あとから、せんぐりせんぐり生まれてくるわ」
-『小早川家の秋』(小津安二郎 脚本・監督、
  原 節子、中村鴈治郎、森繁久弥他 出演、東宝、1961)-


「あとから、せんぐりせんぐり生まれてくるわ」

「せんぐりせんぐり」とは、「繰り返して、順繰りに」との意味。関西の言葉でしょうか?起源の古い言葉なのでしょう。
この短い台詞に、吉田喜重監督が評論の中で繰り返し述べている「小津映画の小津映画たるゆえん」が垣間見えた気がしました。

エンディングも近づいた一場面、珍しく端役での登場だった農夫役 笠智衆さんの台詞です。
晴れ渡る秋の虚空に突き出した火葬場の煙突から噴き出す煙。
川岸で農具を洗いながら、夫婦の農夫がそれを眺めている。
若い人だったら気の毒だと同情する妻にこたえて、夫は冒頭の台詞をひとり言のようにつぶやくのです。

短くてさりげないため、聞き逃してすらしまいかねないこの台詞こそ、他の作品には見当たらない小津監督自身の独白、自らの死生観をつぶやいたものに他ならないと私には思えました。

「元来、人は来る日も来る日も昨日と同じ生活、反復を続けるもの。変わらぬ日常こそがドラマであり、そのドラマを撮り続けることを小津監督は自らに課したのではないか」

と評論『小津安二郎の反映画』の中で著者 吉田喜重監督が推察していますが、これを受け、僭越にも私は次のように思いました。
――親から子へ、子から孫へと、人びとは次の世代にバトンを繋ぎ、「血」が守られ生活が受け継がれていく。絶えることのない反復。それを最小限の言葉で端的に語ったのが、冒頭の台詞に他ならないのではないか。

――何も起こらぬ日常こそがドラマ……。逆説的ではあるが、小津映画を語る上でこれ以上の真理は見当たらないのではないだろうか?だからこそ、俳優たちは過剰な演技を一切排し、ごく自然に振る舞うことを徹底して求められたのではないだろうか。

「小早川家の秋」は松竹ではなく、東宝映画作品として作られ、封切られた作品です。
印象的なカラー、おなじみのカメラアングルなど映像はいつもながらの魅力あふれるものですが、松竹作品とはどこか違っていて、出演陣も、原節子さんら小津組のレギュラー陣に加えて中村鴈治郎や東映の個性派俳優、森繁久弥、宝田明、小林桂樹、新珠三千代がずらっと顔を並べ他流試合のイメージもあります。

それでも、相変わらず女優さんらは皆とても美しいし、秋真っ盛りの大阪、京都の古い街並を美しく切り取った枕カット等、小津監督ならではの熟練の技、演出が冴えわたっています。

また、この作品に限ったことでなく、小津映画のもう1つの得がたい魅力として、脚本や演出で家族を思いやる人びとの美しい心持、そして美しい穏やかな日本語を丹念に描いていることが挙げられると思います。

「秋日和」で親子を演じたばかりの原節子さんと司葉子さんが義理の姉妹に姿を変え、京都・嵐山の桂川のほとりを会話を交わしながら歩くシーンがありますが、画面から美しい日本人の心がにじみ出てくるようで清清しい感動を覚えます。

小津監督の映画作品が欧米など海外で高く評価されていますが、1つには、こうしたつつましくて美しい日本人の姿が好感を呼び、作品の評価につながっているのではないかとも思われ(勝手な解釈ですが)、日本人であることを非常に嬉しく誇らしく思う気持ちになれます。

1960年の「秋日和」に続いて主演した原節子さんにとって、この映画は最後の小津監督作品の出演となりました。
小津監督の没後、一切の芸能活動を中止して引退した女優 原節子としても最晩期の作品といえると思います。



「小早川家の秋」(小津安二郎 脚本・監督、
 原 節子、中村鴈治郎、森繁久弥他出演、東宝、1961)

13.12.11

小津安二郎監督、没後50年を前に<1 読書感想>

平成25年12月12日は戦前から長く活躍し、戦後「東京物語」(1953、松竹)をはじめ輝かしい名作を数多く残した映画監督 小津安二郎氏が60歳の誕生日に他界してから50度目の命日になります。

数限りなくある小津映画論の中でも決定版と言えるのではないかと思う、松竹の後輩にあたる映画監督 吉田喜重氏の小津映画評論『小津安二郎の反映画』を読み返し、小津監督晩年の作品『小早川家の秋』DVDを再鑑賞しました。
長くなったので、評論と映画の2つに分けて、感想を綴りました。



映画はドラマだ、アクシデントではない
-『小津安二郎の反映画』(吉田喜重著、岩波現代文庫、2011)-


「映画はドラマだ、アクシデントではない」
これは、他界する1か月前に病床の小津監督を見舞った吉田監督と妻である女優の岡田茉利子さんが帰る際、小津監督に掛けられた一言です。

同じ年の正月に開かれた新年会での一幕、そしてこの一言の真意を探り、また代表的作品の脚本やカットを数多く取り上げて、大胆かつ細心にその精神的支柱をさぐり、自らの言葉で結論付けた著者。30代半ばで召集され、経験した軍隊生活の影響を色濃く残しながら、戦後の作品で確立するにいたった「反映画」ともいうべき唯一無二の個性がスクリーンを超えて見えてくる気がします。



小津安二郎の「反映画」とは
戦前のサイレント映画時代からのキャリアを持ち、特に戦後の作品群は日本映画の黄金期を飾る名作として国内外で高く評価されている小津映画。その本質が「反映画」であると著者 吉田喜重監督は説いています。これはどういうことか?

著者は注意深く作品を眺め、小津監督の映画に向かう内なるスタンスを2つの根拠から「反映画」として導き出していました。1つは「カメラで切り取られた画面は真実を映し出してはいない」と、技術としての映像化に疑問を呈し、背を向けていること。もう1つは「映画を観る者すべてが映像から共通の意味を読み取ること」に懐疑的であること。

それゆえ、小津映画においてカメラはただ冷徹に静謐に、そこにある事実を映し続けるのみとなっています。これは素人である私たち観賞者にも一目で分かる、小津映画最大の個性ですよね。多くの監督や観客の持つ映画の概念とは対極の考え方、アプローチであり、著者が「反映画」との表現を用いた理由のようです。



僕はトウフ屋だからトウフしか作らない
「最大の魅力が「反映画」であること」
と言わざるを得ないように、小津映画は一筋縄でいかない、時には矛盾をもはらむものとなっているのですが、小津監督は自らをトウフ屋つまり職人(≠芸術家)になぞらえ、家族の物語を描き続けることを宣し、映画に限りない愛情を持ち、遺作となった『秋刀魚の味』で自らのターニングポイントとなった『晩春』を再現してみせたように絶えず映画と、家族と向き合い続け、輝ける名作の数数を世に遺しました。

この評論は、そんな小津映画への深い敬愛の念を根底に持ちながら、ただ賛辞のみを展開するものではありません。深い洞察は、ある部分では私たち素人の浅はかな思い入れを根底から覆されもします。しかし、取りも直さずそれは『小早川家の秋』を手始めに、今一度違った視点から小津映画を楽しむ喜びを与えてくれるものに他ならないと思います。



『小津安二郎の反映画』(吉田喜重著、岩波現代文庫、2011)



13.07.13

切腹~三國連太郎さんの死去に際して再鑑賞(かなり遅いですが)~

モノクロの自然光を生かした映像、低くて重いゆっくりと発せられるオープニングのナレーション、そして静寂。このような静けさの醸し出す緊張感は日本特有のものです。

1962年に公開された時代劇の名作 『切腹』(松竹) は、こうして観る者すべてにサスペンスを予感させながら幕が上がります。ぞくぞくする、スリリングこの上ないオープニングです。

戦が無くなり、仕官の道が断たれた(仕事が無くなった)下級武士の悲哀をリアルに感じさせ、その日の暮らしすらおぼつかない中でも武士たちが尊重する 「武士道」 とは何なのかを問いかける脚本が素晴らしく、仲代達也、三國連太郎、丹波哲郎らの重厚な演技と、悲哀・苦痛・残酷・冷笑などさまざまな人間の感情を陰影濃く捉えたモノクロ映像にひと時も目をそらすことはできません。
ラスト近く、尾羽打ち枯らした津雲半四郎が武家に伝わる祖先の甲冑に倒れ掛かるシーンがこの映画のテーマを象徴しています。

1962年のカンヌ国際映画祭で審査員特別賞を受賞。国内よりも海外(欧米)で注目され、高く評価される作品というのがときどきありますが、この作品も典型的なそれだと思います。



まだまだ観たい昭和の名優、名演技

三國連太郎さんが亡くなった後、5月にこの映画と『復讐するは我にあり』(今村昌平監督)、そして『戒厳令』(吉田喜重監督)を借りてきて再鑑賞しましたが、この『切腹』も含めて「娯楽」と呼べる要素はほとんどなく、社会派ドラマだったり観念的な作品だったりで、観ていて何かを考えさせられるものばかりでした。

返して言えば、単にその時面白ければいい、というのでなく、観る者の記憶にいつまでも残る、深い感銘を刻み込むことを目指したような作品に、三國さんという役者さんは特に欠かせない存在だったのではないでしょうか。

政治的理由でもあるのかDVD化されていないのですが、『閉鎖病棟』で知られる帚木蓬生原作の日本アカデミー主演男優賞を受賞した主演作『三たびの海峡』をいつかぜひ観たいです。
きっと原作同様、一度観たら忘れられない映画だと思います。



「切腹」(1962、日本。監督:小林正樹 主演:仲代達也、三國連太郎)

13.06.17

ブリキの太鼓 ―せっかくなのでディレクターズ版も…観たいなあ―

1979年、私がまだ高校生の頃に名作の呼び声高く、カンヌ映画祭のグランプリ「パルム・ドール」とアカデミー外国語映画賞をダブル受賞した映画

        「ブリキの太鼓」

は、第二次大戦前夜、ドイツ、ポーランド国境近くに存在した自由都市ダンツィヒ(現在はグダニスク)を舞台にしたドイツ人のノーベル賞作家 ギュンター・グラスの小説(主人公の設定は作者本人かな?)の映画化です。

ディレクターズカット版のBlu-rayディスク発売(2012年11月)を祝し、でもオリジナル版ノーマルDVDで、今さらながら鑑賞しました。なんでオリジナルやねん…。

独立都市国家という特異性とそのロケーションからナチスによる侵攻の最初の標的となり、ナチス・ドイツとポーランドとの激しい綱引きに晒されたダンツィヒ。
ドイツ人、ポーランド人、そしてカシューヴ人とそれぞれに立場が異なり、それゆえ運命が大きく左右されてしまう家族の人びと。

第二次大戦前夜から終戦後にソ連軍が進軍してくるまで、という、どう料理しても暗くならないわけのない舞台設定であり、ストーリーですが、主人公オスカル少年の “超能力” のためか、どことなく寓話的というか幻想的で、観終えた後不思議な余韻を引く映画でした。

ただ、時代背景を象徴するのか、あるいは人間の内面を表現したのか、原作に忠実ということのようですが、かなりダークでおどろおどろしい描写もあり、確かに「名作」ですがその点は好き嫌いが分かれそうです。

原作を読んだわけではないので分かりませんが、自らドイツ人の父とカシューヴ人の母を持つ作者 グラスはドイツ人として史実を冷めた視点から伝承し、その時代の空気やそれぞれの立場でダンツィヒに生きた人人の心持を代弁する役割を自ら担ったのかな、と思いました。

ところで、ドイツ人でもポーランド人でもなく、帰属する土地が無いからと、少数民族 カシューヴ人という自らの出自を嘆く祖母のシーンも印象深く観たその日(6月16日)の夜、安部首相の東欧訪問、ポーランド共和国のドナルド・トゥスク首相との会談、そして共同声明の模様がニュースで流れました。
トゥスク首相はカシューヴ人とのことです。
タイミングの良さもあり、過去の背景などまったくの無知だった私ですがこれにはちょっと感動を覚えました。
かつての自由都市ダンツィヒは、今ポーランド最大の港湾を抱く都市グダニスクとなっています。



[1979、西独・ポーランド・フランス・ユーゴスラビア合作、フォルカー・シュレンドルフ監督]

※ オリジナルから31年、20分に及ぶ未公開シーンを収録しています。

12.01.12

ティーバッグに夢中です

新しい年がスタートしました。
2011年は未曾有の大災害に見舞われた大変な年でしたが、そんな極限状態の中でさえお互いを慮り譲り合う姿、各々が分を尽くし務めを果たす姿勢には、日本の強さ、誇るべき国民性に裏打ちされた底力を感じることにもなりました。
オリンピックに各国大統領選挙など、色々と変化がありそうな2012年ですが、ふくろう出版にも何かが起こりそうな予感がしています!
ブログの方は相変わらずの気まぐれ更新ですが、生暖かく見守っていただけましたら幸いです。

本年もどうぞよろしくお願い申し上げます(o*。_。)oペコリ。

 

そんな中、今さらですが、アメリカンドラマ「プリズン・ブレイク」にはまっています。
数年前に途中までは見ていたのですが、お正月に一気見する機会があり、改めて見始めたところ・・・、やだ、おもしろい。。。
息もつかせぬ展開が、寝不足を招きすぎて困ります。

 

「プリズン・ブレイク」シーズン1 (SEASONSコンパクト・ボックス) [DVD]

 

ご存知ない方のために、ざっくりあらすじを書きますと、
副大統領の弟を暗殺した罪で逮捕され死刑判決を言い渡された兄と、兄の無実を信じるIQ200!の天才弟が、兄弟での脱獄を企てる。背後には巨大組織の陰謀が?!というお話。

 

「プリズン・ブレイク」シーズン2 (SEASONSコンパクト・ボックス) [DVD]

 

個性豊かなキャラクターが沢山でてくるのもこのドラマの魅力。
最初の頃は「死ねばいいのに」とさえ思っていたのが、回を重ねるにつれ
大嫌い!!

悪者だけど憎めない

やばい、ちょっとキュンときた

もう君のことしか見えない!!

とまで印象を激変させるのだからたいしたものです。
そしてそんな存在の最たるものが、凶悪犯「ティーバッグ」なのです。

 

生い立ちからくるトラウマやコンプレックス、孤独感。
そしてそれゆえの渇望や葛藤がすごく切なかったですo(iДi)o

頭の回転が速く、時にコミカルで、弁もたつティー様。
もしも何かが、ほんの少し違ったら、誰かが、タイミングが、ほんの少しでも違っていたら、全く違った人生があったのではないかと思わずにはいられない。

 

そして夢の中にまで彼が現れるようになった(彼に惚れている設定。だけど私は逃亡のために利用されるだけの女。殺されなくてよかった・・・)今日この頃、現実世界でも脱獄事件が報道され、ちょっとビックリしています。
広島刑務所って市街地のほぼど真ん中にあるんですね。
現実となると、やっぱり恐いですね((((;゚Д゚))))。

 

全シーズン収録の限定版ブルーレイ

「プリズン・ブレイク」コンプリートブルーレイBOX

 

 

そういえば、刑務作業にも地方独自のものがあって、岡山刑務所には「備前焼」があるそうです。
ちょっとうらやましい・・・というと語弊がありますが、いいですよね。土ひねり。
一人で無心に土と向き合う。心の平安も得られそうな気がします。
長期の受刑者が多いため、かなり熟練もしていて上手いのだそうです。

 

人間国宝故山本陶秀を父に持ち、自らも備前を代表する陶芸作家として活躍する著者による、「鑑賞」ではなく「制作」側からの備前焼入門書がこちら。 

『備前焼の魅力と技法』

 

そして山口刑務所には「萩焼」があるそうです。
萩焼もいいですね。淡いピンクっぽいのとか、色味が柔らかくて、トロンとした感じがかわいいですよね(*^-^*)。

11.10.05

考えずにいられない―映画『日輪の遺産』と辺見じゅん氏の訃報に寄せて―

[映画 『日輪の遺産』 鑑賞記]

原作は文庫で500頁を超える大作。尺に収めるためには、どこかを端折らなくてはいけないんじゃないか…。
そう思っていたところ、やはり登場人物にはかなり大胆な設定変更が。
しかし、物語は淡淡と進み、主人公である軍人と教師の“大人”役俳優は演出も控えめで、特に印象に残る台詞も無いまま進んでいく。
屈託なく笑い、歌う少女たちの姿ばかりが印象的。
そうか、これは少女たちの映画なんだ、と途中から気づかされる。
13~14歳の、女学校の生徒20人(キャラクターを際立たせるためか、人数が原作よりも大幅に少なくなっている)。

朗らかに響く少女らの歌声。
 「出てこい、ミニッツ、マッカーサー、出てくりゃ地獄へ逆落とし」
醜悪な歌詞と屈託のない少女らの笑顔、朗々とした歌声、そのアンバランス。

エンディングも近づき、8月15日が来て戦争は終わった。
しかし、13~14歳という、まだあどけない少女たちにはやることが残されていた。
彼女たちには自らの身に引き換えてでも守るべき、さらに小さな存在、小さな平和、小さな未来があった…。

 8月15日が来たからといって、いきなり
 「戦争は終わった、明日から復興だ、新しい日本を築こう」
 と前向きになれたわけはない。
 一家の柱である父親は戦地に取られて死んだり消息不明…。
 片や、生還したことを恥じて人目をはばかる人もいる。
 誰もが明日の暮らしの何1つの保障もない。
 幼い弟や妹を飢えさせずに生かしたい。
 乳離れすらしていない赤ん坊を死なせたくない。
 でも、どうすれば…。


明日のため、家族というちっぽけでも2つとない自分自身の世界を守るため、必死に戦後を生きた先人たちについて、往時を生きていない私たちは到底知る由もなく語る資格はないのですが、せめて自分自身に問いかけてみよう、とそんなことを考えさせられる映画でした。


『日輪の遺産』(浅田次郎、講談社文庫、1997)



[辺見じゅん著 『戦場から届いた遺書』 読後記]

先月、9月21日に亡くなった女流作家 辺見じゅん氏は戦地に赴いた兵士の日常生活、家族への思い、望郷の念などをその日記や戦地からの手紙、あるいは遺書などに綴られた「小さなことば」に見出し、粘り強く綿密に取材を重ねては、当時の人びとの真の心に迫り、後世に伝えることに腐心し続けた方です。

この本は、太平洋戦争中、戦場に赴いて二度とふたたび家族に会うことなく死んだ兵士たちの綴った遺書の「小さなことば」に込められた切実な思いを伝えるセミ・ドキュメント。

終戦間際に突如侵攻したソ連軍に捕虜として取られ、戦争はとうに終わったのに収容所で無念の死を遂げなくてはならなかった45歳の父親が子どもに語りかけた「遺言」を読んで、思わず身震いし身のすくむ思いがしました。

『戦場から届いた遺書』の結びで
 「死者たちの小さな、しかし真実の叫びに耳を傾け、歴史の真実を知ること」
の重要性を著者 辺見じゅん氏は説き、死者たちの声こそが21世紀の日本を生きる現代の日本人への遺産であると述べ、彼らが私たちに遺した「遺言」と、今の日本は全く裏腹の姿になっているのではないかと警鐘を鳴らしています。

 日本人である私たちの心の中に、死者は間違いなく生き続けている。
彼らの死が無駄になってはいけない。無駄にしてはいけないと、考えずにいられません。

それにしても、こうした労作があってこそ、平和を享受して生きる私たちが、たとえおぼろげにであっても、大きな時代の潮流に翻弄され若くして死なないといけなかった人びとの心の声を感じ取ることができるのですよね。
辺見氏の遺志に感謝し、ご冥福をお祈りします。

まったく今年という年は、震災とか原発事故とか9.11から10年とかいろいろなことが重なって、いろいろなことを考えさせられずにいられない年ですね。


『戦場から届いた遺書』(辺見じゅん、文春文庫、2003)


『男たちの大和』(上)(辺見じゅん、ハルキ文庫、2004)
実弟 角川春樹氏により映画化されたこの作品、
映画の印象が強いですが、こちらも乗艦していた人びとの内なる声、
その思いに迫る、胸熱くなる本です。




『最後の言葉』(重松 清・渡辺 考、講談社、2004)
戦地で回収された兵士の日記をよりどころに、彼らが何を見、何を考えて生きたかを探ったルポルタージュ。
 ※ 単行本は品切れのようですが、文庫が出版されています。

11.09.11

小津安二郎監督の“反戦”について      -吉田喜重『小津安二郎の反映画』未読了-

先週末、台風12号は岡山に上陸し、私の住む地域では小学校の裏山が崩れて校舎内に土砂が流れ込み、3日間の臨時休校を余儀なくされました。再開後も一部の学年は近隣の中学校を借りて授業をしているようです。
平日で児童がいたら、あるいは(避難所指定されているため)ここに避難してきている人がいたら…と思うと空恐ろしくなりますが、せめてもの救いに人的被害はここ岡山ではありませんでした。
紀伊半島を中心として大きな被害を受けた地域の皆様には、謹んでお見舞い申しあげます。

一階部分が完全に埋まった郷内小学校の校舎(授業は8日から再開しました)



10年が経ち、そして半年が経ちました

さて、今日は9月11日。ニューヨークで起こった同時多発テロから丸10年。同時に東日本大震災から半年です。
テロと自然災害、経緯はまったく異なりますが、一瞬でおびただしい数の人びとに苦痛と悲しみを与えたカレンダーの対角上になる2つの大惨事は今後20年、50年、100年といったスパンで人びとの記憶に刻まれることでしょう。
どちらも繰り返し起こってはいけないこと。人として記憶に刻み続けなくてはならないことだと思います。



小津安二郎監督の“反戦”について

私がこよなく愛して止まない映画に「晩春」「麦秋」「東京物語」「秋日和」「秋刀魚の味」他、小津安二郎監督の戦後の作品があります。
小津安二郎は戦前戦後を通じて活躍した松竹の映画監督で、サイレント時代の喜劇映画も有名ですが戦後に撮った松竹の10本と他社の2本の計12作品は特に名高く、国内・海外の数多くの映画監督に多大な影響を与えた偉大な監督です。
ただ、観た人すべてが同じ感想を抱くように、その作風は一貫して

  「ありふれた庶民の日常生活」
  「平凡な家族の当たり前の生活」に起こった小さなできごと

を冷静な視点で捉えた、とても穏やかな、見ようによっては退屈と思えるほど淡淡としたものです。大きな事件や派手なアクションは一切ありません。
ただ、静かでさりげないがゆえに強くて重い主張を感じずにはいられない、そういう場面がどの作品にも必ず織り込まれています。

小津監督は昭和12年に34歳で召集され、ほぼ2年の間、中国国内を一兵士として転戦しています。毒ガス部隊に配属されるなど、恐らくは人を苦しめ、死に至らしめるような所業にも関わらざるを得ない日日だったと思われます。1903年生まれの小津監督にとって、また恐らくはその時代に生まれた人びとにとって、それは是非を超え、避けて通ることのできない日日だったのではないでしょうか?

そうした自分の体験も間違いなく背景にあって、残虐で非人間的な戦争という悲劇をなぜ人は起こしてしまったのか、声高な主張は一切ありませんが、明確な反戦のメッセージを伝えようとしているのが分かるのです。



「映画はドラマだ、アクシデントではない。」
   -小津安二郎監督 語録(吉田喜重氏の回顧より)


松竹で小津安二郎監督の後輩であった映画監督の吉田喜重氏は、著書や対談で小津監督について

  「小さなずれを生じながら反復される毎日の生活」 こそが人間の営みである
 との視点を持っていて、
  「繰り返す毎日、日常にささやかな平和、楽しみ、喜びを見つける」
 ことが一貫してその作中に流れるテーマである

と語っています。
そうした本来の姿を持つはずの人間が、時に戦争やテロといった大きな出来事を引き起こすのはどうしてなのか…。
時を超え、戦後10年以上が経過しても変わらぬ視点で淡淡とつづられる庶民生活の場面の数数は、裏返せばそれ自体が人の愚かな習癖に対する疑問であり監督の問い掛けであるかと感じられます。

  「映画はドラマだ、アクシデントではない。」

死の床にある小津監督を見舞った吉田監督と妻の女優 岡田茉莉子さんに、病床の小津監督が掛けた生前最後の言葉として吉田監督が紹介しています。戦争や9.11、そういった大きな出来事は絵空事、アクシデント。それに対し、ドラマは毎日繰り返される日常的な営み。そういう自分の考えを伝えたかったのではないかと吉田監督は言います。

人間は本来、繰り返す日常を淡々と過ごす存在であり、人生の中で大きなアクシデントを起こすものではない。
しかし、
一度犯してしまうと取り返しのつかない悲劇となり、一瞬にして発生し、長きにわたって多くの人に苦しみと悲しみを与え続ける、そうしたアクシデントを繰り返してしまうのもまた人間の業

それもまた分かっている。
でも、どうしてそんな必要があるのか?

人間が本来持つ穏やかで平和な面を描き続けた小津監督の映画(ドラマ)を、そこに込められた戦中世代の痛切なメッセージを、その痛みを知らないで育った私たちではありますが、感じ取り次世代へと語り継がなくてはいけないと思います。


[吉田喜重『小津安二郎の反映画』岩波現代文庫、2011. 6(未読了です)]


[日本映画の至宝 小津安二郎監督の作品セレクションⅠ]


[日本映画の至宝 小津安二郎監督の作品セレクションⅡ]

11.09.07

☆星新一が見通していた未来☆

秋風が肌に心地よい季節となりました。
先日の台風12号により被害を受けられた皆さまには、心よりお見舞い申し上げます。

これから実りの秋を迎えるわけですが、今週発売のライバル経済誌、奇しくも同じ「コメ」特集となっていました。

 

センセーショナルなコピーはあまり気持ちよくないですが・・・。

「週刊 ダイヤモンド」2011年 9/10号
 

 

「週刊 東洋経済」2011年9/11号
 

 

そして話はガラリと変わりますが、昨日9月6日は、
「ショートショートの神様」星新一 生誕85周年!
という記念すべき日でした。
Googleトップページって、季節感だけじゃなく、○○記念日なども教えてくれて、気が利いてますよね♪

 

星作品というと、小学校高学年~中学生時代に出会う人が多いと思います。私もその時代にすごくはまって読み漁り、刊行されていたものはすべて読破しました。
でも当時、SFのショートショート=小説の中ではちょっと格下、ラノベなどと同程度と思われていたふしがあり、「あんなものは小説ではない」などと言う先生もいました。
ですが1,000話以上に及ぶアイディアはやっぱりすごいし、誰にでも読める(理解できる)文章を書くというのも、実はすごく難しいことだと思います。
近年になってNHKで映像化されるなど、再評価著しいようです。

 

「星新一 ショートショート」 DVD-BOX

 

「星新一 ショートショート 1」 [DVD]
 

そして星新一といえば「エヌ氏」ですよね♪
「固有名詞を使わない」、「時代の風俗を描かない」ことをモットーとしていたため、その作品には普遍性があり、時を経ても古くさくなることがないのです。
また、TV番組「ビーバップ!ハイヒール」(朝日放送)で見たのですが、再販がかかったり、新装版が出たりする度にゲラをチェックし、時代に合わなくなった言葉を別の言い方に変更するなど、細かな手入れをされていたそうです。さらりと書かれているようで、たゆまぬ努力があったわけですね。
  (例)「ダイヤルを回す」→「電話をかける」 など

 
また、彼の先見の明についても、最近特に注目されています。
確かにその作品の中には、30年、40年以上前に書かれたものでありながら、ネット社会、Free(何でも無料)時代、クローンや臓器移植問題などといった現代社会を連想させるものが多々描かれているのです。
もっと便利に、もっと楽しく快適に・・・。果てることない人間の欲望。

それを叶えるべく、科学技術は進歩を続ける。
快適さや利便性を追求し続けた結果の未来(=現代)の世界。
どこまでも読みやすい。
だけど現代社会の諸問題を考える入門書としてもよいのかもしれませんね☆

 

『ボッコちゃん』
 


『妄想銀行』