▼2013 年 9 月 のアーカイブ

13.09.29

本当にありがとうございました ―枇杷の木がある家の先生を悼み、心からの感謝を込めて

「庭に枇杷 (ビワ) の木があるので、それを目印に来なさい。」

初めて先生のご自宅を訪ねることになった時、そう教えていただきました。
何の科学的な根拠もないのですが、庭に枇杷を植えると縁起が悪い、という他愛もない迷信を幼いころ祖母から聞いたことがあったので、珍しいな (でも夏には毎日枇杷の実を食べられて羨ましい…)、と思ったのをよく覚えています。
岡山市郊外の閑静な住宅地にあるご自宅は、もちろん枇杷の木のおかげですぐに分かりました。―



先ごろ、ある先生から会社に電話があり、枇杷の木がある家の先生が8月に他界された、との報せを受け取りました。枇杷の木がある家の先生が監修され、弊社から出版させていただいた何点かの書籍に共著で加わってくださった先生からのお電話でした。

「え、そんな…。」
思わず絶句し、お報せいただいたことへのお礼を述べるのがやっとでした。

「なぜ?」
―70代半ばの今も毎年3校程度は非常勤講師に行っておられ、また市民講座の講師も務めご壮健そのものであられたはずなのに。
―7月にも枇杷の木のご自宅でお目にかかり、今後の予定を打ち合わせたばかりなのに。

先週、弔問におうかがいして、自宅近くの家庭菜園で倒れ急性心不全のため帰らぬ人となったことを奥様からうかがいましたが、衝撃と喪失感は今も完全には癒えていません。

私がふくろう出版(当時は西日本法規出版)にお世話になることになった1994年、すでに先生のご高著は5~6点に及んでいました。そのうち数点は20年を優に過ぎた今も版を重ね、弊社では他に例を見ないロングセラーとなっています。
哲学という分野によることもありますが、充実した内容、また常に私たち出版社の立場を慮ってくださり現在にいたるまで20年間、1年も欠かすことなくテキストとしてご使用いただいていることの賜物です。
共著者が独自に出版してくださったり、お知り合いをご紹介くださったことも枚挙に暇なく、先生の存在なくして弊社がこれまで歩んでこられたかどうか…。想像もできません。

私は最初お目に掛かったのが担当していた上司の「おつかい」としてでしたが、何も分からなく頼りない素人であったのにいつも優しく気さくに接してくださり、また上司が体調を崩した時には漢方薬を紹介してくださったり般若心経を勧めてくださったり、と公私にわたっていつも気に掛けてくださいました。

日ごろから健康には非常に気を配っておられ、栄養のバランスが良い食事や漢方薬を摂取すること、仏教に範を得、お経を唱えて心の平安を保つこと、さらには合気道を取り入れた「気」や「呼吸」による健康法など持ち前の探究心で幅広く研究され、惜しげもなく教えてくださいました (そういえば、枇杷の葉を煎じて飲むと利尿などの優れた薬効があるとか…)。

それだけに、75歳での突然の他界は何より先生ご自身が思いもよらないことだったでしょうし、残念でなりません。
重ねて書きますが、枇杷の木がある家の先生の存在なくしては、弊社がここまで歩んでこられたかどうか、想像もできません。

お礼は言葉で言い尽くせませんが、これまで本当にありがとうございました。
謹んでご冥福をお祈りいたします。



ご焼香させていただいた際、祭壇にはめがねや帽子など思い出深いお召し物と並んで、洋画のサウンドトラックCDがお供えされていました。お勧めの洋画を教えていただくことはもうできませんが、幼き者への愛情や幼き日日への郷愁が詰まった、こんな作品がお好きだったのではないだろうか、と想像します。


『ニュー・シネマ・パラダイス(監督:ジュゼッペ・トルナトーレ、1988、伊)』
メインテーマ(エンリコ・モリコーネ作曲)

13.09.02

地味さは普遍性の証し ― 奈良県中山間地区の人びとを描く河瀬直美監督 ―

先日、訪問した奈良の先生に一服のお茶をいただき、奈良の茶畑で撮った美しい映像を思い出しました。
カンヌ映画祭でグランプリを獲得した 河瀬直美監督の 『殯の森』(2007年、日本・フランス) の一場面です。

「奈良ってお茶どころなんですってね。きれいな茶畑を映画で観たことがあるんです。」
思わず、そう話しかけたところ、すかさず

「その映画 『殯の森』 でしょう?河瀬監督はお住まいがご近所みたいなんですよ、
あちらは私のことを知らないけれど。ときどきお店なんかで見かけるんです。」

とのお答え。

河瀬監督の名前が先生の口から出るとは正直予想していなく、いささか面食らいました。
しかも地元奈良県といえ、「ときどき見かける」とは…。

奈良県を拠点に子育てしながら独自の作風の映画や小説を発表している河瀬直美監督は、カンヌでは新人賞 (1997年の 『萌の朱雀』) とグランプリの受賞、2013年には審査員として招かれるなど、高く評価され知名度も十分ですが、作品は地味そのものだし、公開は小規模でロードショーなどは一切ありません。

正直なところ、私もカンヌの受賞作という情報に興味があって最初 『萌の朱雀』、次いで 『殯の森』 と観てみたのですが、いくつかのエピソードが交えられてはいても基本的に淡淡と静かに進んでいくため「え、これが?」というのが偽らざる第一印象でした。

そこで、相手の先生もまさかご存じではないだろう、と勝手に決め込んでしまっていたのですが、 映画の撮り方や観方にルールなどないし、撮る目的、観る目的は人それぞれです。

奈良県の中山間部に暮らす普通の人びとの日常に題材を求めながら、
「人が生きること」 「次世代へと命をつなぐこと」
等を普遍的なテーマとして掲げていると、この画面下方のTED x Tokyo での語りや他で語っていることからは推測され、そのことは

「自ら披露しているその生い立ちや幼いころの体験に深く根ざしている」

と考えられるし、日本的な美しい吉野の山河を織り交ぜながら、自然光の下、自然なアングルで、まるで自分の家族がしゃべっているのを近くで聞いているように見える独特の映像(しかも出演者は大半が素人)は、やはり TED x Tokyo での語りにある、

「人が生きた証しを映像に残し、(その人がいなくなった後も)再生できることの素晴らしさ」

を映像で表して見せたものかなと思います。
不思議な感触をもつ河瀬監督の映画を言葉の壁を超え受け止めるフランスの人びとの感性、その懐の深さには改めて感銘したし、河瀬監督自らの発案による 「奈良映画祭」 などを通じて、奈良県民の方にはその存在がきっとお馴染みなんでしょうね。
さすが地元、たいへん失礼しました。


河瀬 直美監督が「映画の価値」について語った Ted x Tokyo でのトーク

『萌の朱雀』 で主役に抜擢された、奈良県五條市の当時の中学3年生 尾野真千子さんは、今や実力を兼ね備えた人気女優です。私も大好きだな。
出演作 『そして父になる』(是枝裕和監督) が2013年のカンヌ映画祭審査員特別賞を受賞しました。

ちなみにお茶は奈良産ではなく、先生の長野県在住のご親戚が無農薬で有機栽培されたものでした。とてもおいしかったです。


「殯の森(もがりのもり)」(2007、日・仏。脚本・監督:河瀬直美。出演:尾野真千子他)


「萌の朱雀(もえのすざく)」(1997、日。脚本・監督:河瀬直美。出演:國村 隼、尾野真千子他)