▼2013 年 12 月 11 日 のアーカイブ

13.12.11

小津安二郎監督、没後50年を前に<2 映画感想>

「あとから、せんぐりせんぐり生まれてくるわ」
-『小早川家の秋』(小津安二郎 脚本・監督、
  原 節子、中村鴈治郎、森繁久弥他 出演、東宝、1961)-


「あとから、せんぐりせんぐり生まれてくるわ」

「せんぐりせんぐり」とは、「繰り返して、順繰りに」との意味。関西の言葉でしょうか?起源の古い言葉なのでしょう。
この短い台詞に、吉田喜重監督が評論の中で繰り返し述べている「小津映画の小津映画たるゆえん」が垣間見えた気がしました。

エンディングも近づいた一場面、珍しく端役での登場だった農夫役 笠智衆さんの台詞です。
晴れ渡る秋の虚空に突き出した火葬場の煙突から噴き出す煙。
川岸で農具を洗いながら、夫婦の農夫がそれを眺めている。
若い人だったら気の毒だと同情する妻にこたえて、夫は冒頭の台詞をひとり言のようにつぶやくのです。

短くてさりげないため、聞き逃してすらしまいかねないこの台詞こそ、他の作品には見当たらない小津監督自身の独白、自らの死生観をつぶやいたものに他ならないと私には思えました。

「元来、人は来る日も来る日も昨日と同じ生活、反復を続けるもの。変わらぬ日常こそがドラマであり、そのドラマを撮り続けることを小津監督は自らに課したのではないか」

と評論『小津安二郎の反映画』の中で著者 吉田喜重監督が推察していますが、これを受け、僭越にも私は次のように思いました。
――親から子へ、子から孫へと、人びとは次の世代にバトンを繋ぎ、「血」が守られ生活が受け継がれていく。絶えることのない反復。それを最小限の言葉で端的に語ったのが、冒頭の台詞に他ならないのではないか。

――何も起こらぬ日常こそがドラマ……。逆説的ではあるが、小津映画を語る上でこれ以上の真理は見当たらないのではないだろうか?だからこそ、俳優たちは過剰な演技を一切排し、ごく自然に振る舞うことを徹底して求められたのではないだろうか。

「小早川家の秋」は松竹ではなく、東宝映画作品として作られ、封切られた作品です。
印象的なカラー、おなじみのカメラアングルなど映像はいつもながらの魅力あふれるものですが、松竹作品とはどこか違っていて、出演陣も、原節子さんら小津組のレギュラー陣に加えて中村鴈治郎や東映の個性派俳優、森繁久弥、宝田明、小林桂樹、新珠三千代がずらっと顔を並べ他流試合のイメージもあります。

それでも、相変わらず女優さんらは皆とても美しいし、秋真っ盛りの大阪、京都の古い街並を美しく切り取った枕カット等、小津監督ならではの熟練の技、演出が冴えわたっています。

また、この作品に限ったことでなく、小津映画のもう1つの得がたい魅力として、脚本や演出で家族を思いやる人びとの美しい心持、そして美しい穏やかな日本語を丹念に描いていることが挙げられると思います。

「秋日和」で親子を演じたばかりの原節子さんと司葉子さんが義理の姉妹に姿を変え、京都・嵐山の桂川のほとりを会話を交わしながら歩くシーンがありますが、画面から美しい日本人の心がにじみ出てくるようで清清しい感動を覚えます。

小津監督の映画作品が欧米など海外で高く評価されていますが、1つには、こうしたつつましくて美しい日本人の姿が好感を呼び、作品の評価につながっているのではないかとも思われ(勝手な解釈ですが)、日本人であることを非常に嬉しく誇らしく思う気持ちになれます。

1960年の「秋日和」に続いて主演した原節子さんにとって、この映画は最後の小津監督作品の出演となりました。
小津監督の没後、一切の芸能活動を中止して引退した女優 原節子としても最晩期の作品といえると思います。



「小早川家の秋」(小津安二郎 脚本・監督、
 原 節子、中村鴈治郎、森繁久弥他出演、東宝、1961)

13.12.11

小津安二郎監督、没後50年を前に<1 読書感想>

平成25年12月12日は戦前から長く活躍し、戦後「東京物語」(1953、松竹)をはじめ輝かしい名作を数多く残した映画監督 小津安二郎氏が60歳の誕生日に他界してから50度目の命日になります。

数限りなくある小津映画論の中でも決定版と言えるのではないかと思う、松竹の後輩にあたる映画監督 吉田喜重氏の小津映画評論『小津安二郎の反映画』を読み返し、小津監督晩年の作品『小早川家の秋』DVDを再鑑賞しました。
長くなったので、評論と映画の2つに分けて、感想を綴りました。



映画はドラマだ、アクシデントではない
-『小津安二郎の反映画』(吉田喜重著、岩波現代文庫、2011)-


「映画はドラマだ、アクシデントではない」
これは、他界する1か月前に病床の小津監督を見舞った吉田監督と妻である女優の岡田茉利子さんが帰る際、小津監督に掛けられた一言です。

同じ年の正月に開かれた新年会での一幕、そしてこの一言の真意を探り、また代表的作品の脚本やカットを数多く取り上げて、大胆かつ細心にその精神的支柱をさぐり、自らの言葉で結論付けた著者。30代半ばで召集され、経験した軍隊生活の影響を色濃く残しながら、戦後の作品で確立するにいたった「反映画」ともいうべき唯一無二の個性がスクリーンを超えて見えてくる気がします。



小津安二郎の「反映画」とは
戦前のサイレント映画時代からのキャリアを持ち、特に戦後の作品群は日本映画の黄金期を飾る名作として国内外で高く評価されている小津映画。その本質が「反映画」であると著者 吉田喜重監督は説いています。これはどういうことか?

著者は注意深く作品を眺め、小津監督の映画に向かう内なるスタンスを2つの根拠から「反映画」として導き出していました。1つは「カメラで切り取られた画面は真実を映し出してはいない」と、技術としての映像化に疑問を呈し、背を向けていること。もう1つは「映画を観る者すべてが映像から共通の意味を読み取ること」に懐疑的であること。

それゆえ、小津映画においてカメラはただ冷徹に静謐に、そこにある事実を映し続けるのみとなっています。これは素人である私たち観賞者にも一目で分かる、小津映画最大の個性ですよね。多くの監督や観客の持つ映画の概念とは対極の考え方、アプローチであり、著者が「反映画」との表現を用いた理由のようです。



僕はトウフ屋だからトウフしか作らない
「最大の魅力が「反映画」であること」
と言わざるを得ないように、小津映画は一筋縄でいかない、時には矛盾をもはらむものとなっているのですが、小津監督は自らをトウフ屋つまり職人(≠芸術家)になぞらえ、家族の物語を描き続けることを宣し、映画に限りない愛情を持ち、遺作となった『秋刀魚の味』で自らのターニングポイントとなった『晩春』を再現してみせたように絶えず映画と、家族と向き合い続け、輝ける名作の数数を世に遺しました。

この評論は、そんな小津映画への深い敬愛の念を根底に持ちながら、ただ賛辞のみを展開するものではありません。深い洞察は、ある部分では私たち素人の浅はかな思い入れを根底から覆されもします。しかし、取りも直さずそれは『小早川家の秋』を手始めに、今一度違った視点から小津映画を楽しむ喜びを与えてくれるものに他ならないと思います。



『小津安二郎の反映画』(吉田喜重著、岩波現代文庫、2011)