クリスマスと日本人
毎年クリスマスシーズンになると、必ず聞こえてくるのがこんな声。
キリスト教徒でもない日本人が、こんなに大騒ぎをするのはなぜ?
これまで明快な答えは出せずにいたのですが、最近になって、日本人の多くは無宗教ではなく、むしろ多神教なのでは、と思うに至りました。
きっかけは、日本旅行の思い出を綴った外国人たちのブログ。
「日本人はみんな順番を守る。自主的に列を作る!」とか「公共の場所で騒がない」、「公衆トイレもきれいに使う」など、私たちがあまりにも当たり前だと思っていることに感動してくれていて、そのことにとても驚いた。
日本人の行儀のよさはどこからくるのか。
頭に浮かんだのは、今や失われつつあるこの言葉
「バチがあたる」
子どもの頃、この言葉にさんざん脅されたような気がします。
人が見ていようがいまいが、
「悪いことをしたらバチがあたる」、「物を粗末にしたらバチがあたる」
これはキリスト教などでいう「神はいつもご覧になっている」みたいな戒めに近いかと思います。
そもそも日本には「八百万の神」という言葉があるように、山には山の、川には川の、岩や木、かまどやお箸、米の一粒一粒にまで、ありとあらゆる神様がいた。
そこから自然に対する畏敬の念や、物に感謝し大切に使う「もったいない精神」なども自ずと培われてきた。
「お天道様に顔向けできない」などといいますが、何でもお見通しの太陽を敬う→いつ誰に見られても構わないふるまいをする→恥の文化にもつながっているように思います。
クリスマスに浮かれ、お寺の除夜の鐘を聞き、お正月には神社へ参り、お彼岸・お盆にはお墓参りをする。
そんな生活に疑問を感じないのは、仏陀もキリストも、八百万の神の一人ぐらいに思っているからではないだろうか。
『「日本の神様」がよくわかる本 八百万神の起源・性格からご利益までを完全ガイド』
『知っておきたい日本の神話』
『日本の神話 親から子へ語り継ぎたい 』
宗教というものをあえて意識させないほど、様々なことが日常生活に浸透している。
今年「トイレの神様」という歌が話題になりましたが、それ以前にも「トイレ掃除で会社が変わる!」みたいな自己啓発的ビジネス書がブームになったことがあります。それも「トイレの神様(弁天様?)」効果ってことですよね?
「トイレの神様」
『掃除道 会社が変わる・学校が変わる・社会が変わる』
『ツキを呼ぶ「トイレ掃除」』
あらゆる神様を肯定し、神社でもお寺でも教会でも、神聖な場所に行けば自然と頭をたれる。それが日本人のメンタリティ。
だから多くの日本人には、排他的一神教の、いわゆる「原理主義」というものが理解できない。
世界中の争いの多くが宗教を発端としていたり、今でも政治利用されていることなどを思うと、節操が無いといわれようが、多神教、結構なことではないかと思う。
胸をはってクリスマスに浮かれればいいと思う。
そして年末になると思い出すのが「まんが日本昔ばなし」の「貧乏神と福の神」のお話。
「貧乏」すら神としてあがめ祭ってしまう、このふところの深さ!どうよ?!
『決定版 まんが日本昔ばなし101 』
「まんが日本昔ばなし」DVD
子どもの頃、大好きでした。
今の子どもたちにも見せてあげたい。
悪いことをすればバチがあたるとか、弱者をいたわるとか、働き者・正直者は報われるとか、理論的に説明するのが難しい道徳的なことを伝えるのに、すごく良い教材だと思います。
再放送希望。いや、一生放送し続けてほしい。