▼‘音楽’ カテゴリーのアーカイブ

11.08.24

インターンシップの学生さんがやってきました

今週月曜日、ふくろう出版に新鮮な風が吹き抜けました。
この夏、弊社はインターンシップの受け入れを行っており、今週1週間がその研修期間となっているのです。

参加してくださったのは市立尾道大学の学生さん。

 

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  メイントレーナーである熱血特派員亀山氏と

 

出版についての基礎知識講習に始まり、実務では編集・校正などのほか、出来上がってきた本の移動や梱包など、力仕事も体験してもらっています。
女子にお願いするのは気が引けるのですが、少人数所帯のふくろう出版では、女子でも力仕事を避けて通ることはできません。 吹けば飛びそうな、細っこい清楚系女子フジワランも、重たいダンボール箱をひょいひょいと運んでいますv(・_・) ブイッ。(だけども今、フジワランは足を痛めているので心配です(>_<;))

 

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かわいいですね♪

お肌のハリや透明感はもちろんのこと、あまり物怖じしない感じがうらやましいです。
いいなぁ・・・、若いって。

 

あ、そうそう。実は彼女、学生ながら本を出しているんです!!

 

 

私は敢えて「一流」をめざす

尾道大学の学生12人と教授による共著です。

現在、品切となっております。申し訳ございません。

 

いいなぁ・・・、若いって。

 

『若いってすばらしい』

的確なコメントや言葉選びの上手さに頭の良さがうかがえるミッツママのお店にいつか行ってみたいです☆

11.08.05

手術室の奇跡?

またまたご無沙汰しておりました。
実は入院・手術のため、しばらくお休みをさせていただいておりました。
私事で恐縮ですが、その時のお話を少し書いてみたいと思います。

 

初めての入院+全麻手術。不安はありましたが、引継ぎやら入院準備やらで直前までバタバタしており、あまり深刻に考えこむ間もなく、入院の日を迎えました。
そして翌日にはもう手術。そこまできて逃げるわけにもいかず「もう、どうにでもなれ!」と覚悟を決め、意外に軽快な足取りで、手術室へと向かいました。

 

手術室へ入ると、そこには音楽が。アメリカの医療系ドラマなどでは、ドクターが自分の好きな音楽をかけ、すごいノリノリな感じで手術をしている風景がよくあって「あ~、ホントにこんな感じなんだぁ♪」と、なぜかドラマの主人公気分(笑)。
そして何と、流れていたのは私の大好きな林檎ちゃん!!しかも、特に愛してやまない、椎名林檎初期ソロ時代の曲だったのです!

 

手術室で音楽。そしてまさかの林檎ちゃん。
何か、すごく運命的なものを感じました!
「大丈夫。きっとうまくいく。」そう神様が言ってくれているような・・・。

 

そんなことを思っているうち、すぐに麻酔で意識は遠くなり、翌日目覚めたときにはICUのベッドの上でした。
術後1週間は本当に辛かった(口と鼻をふさがれた状態だったので、痛みより息ができないのが苦しくて、死ぬかと思いました)。
ですが、無事、生還することができました。
神様、仏様、林檎様、そしてご心配くださった皆様、本当にありがとうございました!

 

セカンドアルバム『勝訴ストリップ』
一番好きかも。

 

 

 

傑作すぎるファーストアルバム『無罪モラトリアム』

 

 

それにしても、最近の若いお医者さんって、キレイな人が多いなーと思いました。
きれいで頭がよくて、一般的にステイタスが高いとされる職業につき、それに見合う報酬もきっとあり、薬指には指輪がキラリ(☆д・)
全部持ってます!
そして持っている女性の配偶者は、やはり持っている人だと思われ・・・。
あ、別に妬んでいるわけではないんです。うらやましいだけ。(´・ω・`)

 

最近の若いお母さんには、キレイな人が多い(文明の利器や各種サービスの充実などにより)。子どもを持つ女性限定の就業支援(優遇)なども増えてきている。持つものと持たざるものの格差がより鮮明になってきている、みたいなことを確か香山リカさんが書かれていたのを、ふと思い出しました(^^;)

 

『しがみつかない生き方』

 

 

この度は看護師さんにもお世話になりました。
体力的にもきついと思いますし、患者さんにとっては精神的な支えとなることもあり、大変なお仕事だと思います。
取り乱し、泣きじゃくっている患者さんに対し、優しく辛抱強く接している姿など、本当に頭が下がる思いでした。

 

看護系教官、看護師、保健師など看護専門職の人々が、患者や家族、友人との関わりなど、自らの体験、心に残るエピソードなど、思い思いに綴ったエッセイ集あります。
「看護専門職の人生を育むもの」シリーズ
第8弾『仕事と誇り』


 

 

【教えて!ドクター♪】
岡山市中区やけまるさんから届いたこんな質問。先生に聞いてみました!(*^-^*)

 

質問:手術の時、トイレに行きたくなったらどうするんですか?ドクター交代?それとも我慢できる体になっているんですか?
答え:集中しているからか、これまで手術中にトイレに行きたくなったことはありません。
質問:10時間以上とか、すごい長時間の手術でも?
答え:はい。「お腹すいたなぁ~」って思うことはありますけど。

 

プロフェッショナルですね!
そういえば、占い師「新宿の母」も、鑑定中は立ちっぱなしで、食事もしないしトイレにも行かないと言っていたと思います。お客を待たせないためだそうですが、何十年も毎日そんな生活じゃ体が心配です。無理しないで!

10.12.16

クリスマスと日本人

毎年クリスマスシーズンになると、必ず聞こえてくるのがこんな声。
キリスト教徒でもない日本人が、こんなに大騒ぎをするのはなぜ?
これまで明快な答えは出せずにいたのですが、最近になって、日本人の多くは無宗教ではなく、むしろ多神教なのでは、と思うに至りました。

 

きっかけは、日本旅行の思い出を綴った外国人たちのブログ。
「日本人はみんな順番を守る。自主的に列を作る!」とか「公共の場所で騒がない」、「公衆トイレもきれいに使う」など、私たちがあまりにも当たり前だと思っていることに感動してくれていて、そのことにとても驚いた。

 

日本人の行儀のよさはどこからくるのか。
頭に浮かんだのは、今や失われつつあるこの言葉
バチがあたる
子どもの頃、この言葉にさんざん脅されたような気がします。

人が見ていようがいまいが、
「悪いことをしたらバチがあたる」、「物を粗末にしたらバチがあたる」
これはキリスト教などでいう「神はいつもご覧になっている」みたいな戒めに近いかと思います。

 

そもそも日本には「八百万の神」という言葉があるように、山には山の、川には川の、岩や木、かまどやお箸、米の一粒一粒にまで、ありとあらゆる神様がいた。
そこから自然に対する畏敬の念や、物に感謝し大切に使う「もったいない精神」なども自ずと培われてきた。
「お天道様に顔向けできない」などといいますが、何でもお見通しの太陽を敬う→いつ誰に見られても構わないふるまいをする→恥の文化にもつながっているように思います。

 

クリスマスに浮かれ、お寺の除夜の鐘を聞き、お正月には神社へ参り、お彼岸・お盆にはお墓参りをする。
そんな生活に疑問を感じないのは、仏陀もキリストも、八百万の神の一人ぐらいに思っているからではないだろうか。

 

『「日本の神様」がよくわかる本 八百万神の起源・性格からご利益までを完全ガイド』

 

『知っておきたい日本の神話』 

 

日本の神話  親から子へ語り継ぎたい

 

 

宗教というものをあえて意識させないほど、様々なことが日常生活に浸透している。
今年「トイレの神様」という歌が話題になりましたが、それ以前にも「トイレ掃除で会社が変わる!」みたいな自己啓発的ビジネス書がブームになったことがあります。それも「トイレの神様(弁天様?)」効果ってことですよね?

 

「トイレの神様」

 

 

『掃除道  会社が変わる・学校が変わる・社会が変わる』

 

 

 

『ツキを呼ぶ「トイレ掃除」』

 

 

あらゆる神様を肯定し、神社でもお寺でも教会でも、神聖な場所に行けば自然と頭をたれる。それが日本人のメンタリティ。
だから多くの日本人には、排他的一神教の、いわゆる「原理主義」というものが理解できない。
世界中の争いの多くが宗教を発端としていたり、今でも政治利用されていることなどを思うと、節操が無いといわれようが、多神教、結構なことではないかと思う。
胸をはってクリスマスに浮かれればいいと思う。

 

 

そして年末になると思い出すのが「まんが日本昔ばなし」の「貧乏神と福の神」のお話。
「貧乏」すら神としてあがめ祭ってしまう、このふところの深さ!どうよ?!

『決定版 まんが日本昔ばなし101 』


 

 

「まんが日本昔ばなし」DVD

子どもの頃、大好きでした。
今の子どもたちにも見せてあげたい。
悪いことをすればバチがあたるとか、弱者をいたわるとか、働き者・正直者は報われるとか、理論的に説明するのが難しい道徳的なことを伝えるのに、すごく良い教材だと思います。
再放送希望。いや、一生放送し続けてほしい。

10.07.27

幻の「倉敷事変」

今年5月、大好きな椎名林檎嬢(率いる東京事変)が、ここ岡山の倉敷に来てくれました。
全国ツアー「東京事変 live tour 2010 ウルトラC」の、しかも千秋楽です。
何をおいても絶対行くつもりだったけれど、叶わぬ夢で終わりました。_| ̄|○

 

だってチケット価格の高騰が尋常じゃないんですものーーー!!!

 

ライブチケットって、皆さん、どこで買われていますか?
正規ルートで入手するの、年々難しくなっていませんか?

 

正直私も、定価で後ろの席になるよりも、ちょっと足していい席で見られるならその方がいいや、という気持ちがありました。
だけど今回のライブチケット、ネットオークション市場では定価の3倍、4倍当たり前。
恐ろしいことになっていました。

 

なぜ?
林檎ちゃんファンの増加?
ネット人口の増加?
倉敷が千秋楽だったから?

 

自分一人なら、それでも無理して買ってしまっていたかもしれません。でも、
「林檎ちゃんのためになるならまだしも、転売屋を儲けさせるだけだよね」
友人の言葉で思い留まりました。

 

林檎ちゃんに貢ぐことは厭わない。
だけど頑張って高値落札したところで、林檎ちゃんの利益には一切つながらないばかりか、

オークション人気UP→価格高騰→転売屋増殖の構図に加担することにもなるんですよね。

 

でも、やっぱりものすごく気になって、倉敷ライブの感想が書かれたブログを探していたところ、気になる記述が・・・。

 

(一部引用)

※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※
 

林檎嬢が珍しく長目のMCを入れて「・・・なぜ今回、倉敷を最後の千秋楽公演にさせて頂いたかというと、前にお邪魔した時に最も素敵なお客さんだったから・・・」と言ったのが印象的だった。

 

ただ面白かったのは、それを言った直後、すぐに大歓声になったのではなく、少し間を置いてからだった事だ。恐らくその場に居た人達のかなりの数が倉敷の人ではなかったからだと思う。

 

※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※

 

あーんΣ(T▽T;) 
私のせいだわ。
やっぱりもっと頑張る(大枚はたいてセリ落とす)べきだったのか?
私も参戦していた前回の倉敷公演を、林檎ちゃんがほめてくれたのはうれしいけれど、それで微妙な空気になってしまったっていうのは、何ともいたたまれない。

 

そうなんです。前回の倉敷は盛り上がっていたと思います。
私も最初から絶叫につぐ絶叫、声援送りまくりでした。
その時林檎ちゃんが
「まだツアー途中だけど、最初からこんなに盛り上がってくれているのは初めて
って言ってくれました。私に!(←みんなそう言う)
「また来てねー!」
の呼びかけにも
「また来る」
って小さな声で、可愛く答えてくれた。

 

せっかく林檎ちゃんが約束を果たしてくれたのに、私ときたら・・・。

 

地元優先枠とか無いしなぁ。
熱狂的ファンであれば、地元だけでなく、すべての公演に参加したい、その気持ちは分かります。でも、でもでもでも・・・。
転売問題含め、何かいい方法がないものでしょうか。

 

 

ウルトラC 【DVD】
「東京事変 live tour 2010 ウルトラC」(3/26~5/23開催・全国18ヶ所22公演)の中から、

千秋楽の倉敷、ではなく5/12に行われた東京国際フォーラムでのライブ収録。

 

 

 

ウルトラC 【Blu-ray Disc】

スポーツ 【CD】

09.09.01

あの頃を思い出して原点!に帰ろう

今日から9月.2学期が始まって街の喧噪が本格的に戻ってきました.
大学だけは,もうしばらくの間静かですが.


新型インフルエンザがこの後どこまで猛威をふるうのか,気持ちの落ち着かない日々が当分続きそうですが,過剰反応をせず自己防衛だけはきちんとして,平静に普段通り過ごしていくしかありませんね.


さて唐突ではありますが,最近隆盛を見せている映画界に目を向けると,とかく蔓延しがちな沈滞ムードを吹っ飛ばすべく,「ハリー・ポッターと謎のプリンス」は7月の公開以来好調を続け,昨日29日からは日本映画の「20世紀少年」の3作目(最終章)が公開されて盛況のようです.
たいへん結構ですねー.沈滞していてもしかたないですからね.


実は,私もこの夏,割とたくさん映画を見ているんですよ.全部DVDを自宅で…ですけど(;^_^A


私は10カ月ほど前から日曜日に某大手レンタルショップから安価な料金の旧作をまとめて4,5本借りてきては,一週間で見て返す(平日にはまったく見られませんが)という映画生活を続けていて,洋画も邦画も雑食的に150本くらい観ています.
旧作といっても一年以内に劇場公開されたばかりのものもたくさんあるし,なにしろいちばん映画を観たのが高校時代という私なので,その後25年余りの間に作られたものだけでも名作,秀作が数限りなくあって,観るものがなくて困ることは全然ないんです.


当ブログで以前“じゅん”さんが取り上げていた是枝裕和監督の『歩いても 歩いても』も素晴らしかったし,最高の俳優ショーン・ペンが監督した感動作『イントゥ・ザ・ワイルド』なんかも最近観ることができて,ささやかながらも深い感動にしばし浸りました.
スペクタクルな大作も嫌ではありませんが,傾向的には微妙で繊細な人の心持ちを丁寧に表現した映画を選ぶことが多いです.


最近,特に感動したのは,アダム・サンドラーとドン・チードルがかつての歯大の同級生でルームメートという間柄の40代の主人公を演じるマイク・バインダー監督の2007年製作の『再会の街で』.
原題はザ・フーの名曲からとった“Reign over Me”です.





“9.11”で最愛の家族を失った旧友に偶然出会った歯科医が,忌まわしい記憶を呼び戻す周囲の声を(たとえそれが援助を目的としたものでも)全て拒絶する旧友の傷付いた心に触れ,なんとか力になって傷を癒そうと努力するうちに,自分自身もいつしか家族との間に作っていた垣根に気付いていくというストーリーで,“家族”,“友情”について深く考えさせられずにはいられない,派手さは無いけれど重厚で素晴らしい作品です.
40代となったかつてのルームメートを演じる2人の演技も微妙な心情がきめ細かく表現されていて見応えがあったし,演出もすばらしい.
特に,その設定には惹かれるものがありました.


主人公の2人は私と年代も同じで,学生時代にのめり込んだロック・ミュージックの影響がその後の人生にも色濃く反映されていて…と,私にとってたいへん「共感できる」設定.
ということは,必然的に主人公2人が影響を受けたアーティストや作品も私とおおいに共通しているわけで,ブルース・スプリングスティーンの「ザ・リバー」やザ・フーの「四重人格」など学生時代の私たちがこよなく愛し,未だにその影響下にある70 ~ 80年代の黄金の作品群が全編にわたってフィーチャーされているのです.
間違いなくマイク・バインダー監督にとっての青春だったんだろうな.と分かる設定です.


アダム・サンドラーがプリテンダーズの塩ビのLP盤を取り出しながら,その臭いを嗅いで
「80年代の臭いがするぜ」
とつぶやくシーンなんか,
「そうそう,ほんとにその通り」
と,口には出さずにんまりと同意してしまいました.
さらにドン・チードルが
「いや70年代末だ」
と返すにいたっては,細かすぎるぐらいで
「誰も分からんじゃろ,そんなこと」
と思わずツッコミを入れてしまいました.


時空も距離も超えて
「俺と同じことを言うやつがいる」
ことに嬉しいような不思議なような,ちょっと表現できない感動を覚えた瞬間でした.
これ分かる人は分かっていただけますよね.


09.07.02

太宰治 生誕100年に『女生徒』を再読する

今年は太宰治 生誕100年。様々なイベントや映画化も続いていますね。
そして6月は、太宰が生まれた月であるとともに亡くなった月でもありました。
そんなMemorial YearのMemorial Month、久しぶりに太宰を読み返してみました。

 

私が太宰を読んでいた中学~高校時代、当時は太宰=「暗い」とか「自己憐憫に浸っているだけのエゴナルシスト」なんて言われがちで「太宰が好きだ」などうかつには口に出せない雰囲気がありました(; ̄□ ̄A。
でも今は、特に若者の間で「太宰肯定派」が多いようで、なんかうらやましいです。

 

太宰が広く若者に受け入れられるようになったのは、綿矢りささんが芥川賞受賞後に「太宰好き」を告白したことがきっかけだったのでは?と思っているのですが、どうでしょうか?
若くてキレイな娘さんだったから余計、その影響力は大きかったと思います。
そして『DEATH NOTE』風カバーの文庫なども出て、さらに拍車がかかったと。
だけど彼女がリスペクトする太宰自身はというと、当時創設されたばかりの芥川賞受賞に意欲を燃やし、切望し、能力もあったはずなのに結局受賞は叶わなかった。何だか皮肉ですよね。

 

太宰作品の中で特に有名なのは「人間失格」、「走れメロス」、「斜陽」あたりだと思います。
でも他の短編でもおもしろいものは多くて、中でも特に印象に残っているのが「女生徒」です。

 

「あさ、眼をさますときの気持は、面白い。」
そんな独白で始まる同作は、ある女生徒の、朝起きてから、夜眠りにつくまでの一日を描いたお話です。
日常の中でとりとめなく押し寄せ、流れていく感情。
思春期に特有の自意識過剰や潔癖さ、迷い、不安など、男性の太宰がなぜ?と思うほど見事に描ききっていると思います。

 

(以下、本文より部分的に抜粋)
**************************************

 

朝の私は一ばん醜い。
朝の寝床の中で、私はいつも厭世的だ。

 
二匹をまえに並べて置いて、ジャピイだけを、うんと可愛がってやった。
カアは、悲しくて、いやだ。可哀想で可哀想でたまらないから、わざと意地悪くしてやるのだ。

 
その労働者たちは、いつもの例で、言えないような厭な言葉を私に向かって吐きかける。

 
けれども、私がいま、このうちの誰かひとりに、にっこり笑って見せると、たったそれだけで私は、ずるずる引きずられて、その人と結婚しなければならぬ破目におちるかも知れないのだ。女は、自分の運命を決するのに、微笑一つでたくさんなのだ。

 
なぜ私たちは、自分だけで満足し、自分だけを一生愛して行けないのだろう。

 
プラットフォムに降り立ったら、なんだかすべて、けろりとしていた。

 
学校の修身と、世の中の掟と、すごく違っているのが、だんだん大きくなるにつれてわかって来た。学校の修身を絶対に守っていると、その人はばかを見る。変人と言われる。出世しないで、いつも貧乏だ。

 
自分が女だけに、女の中にある不潔さが、よくわかって、歯ぎしりするほど、厭だ。

 
それよりも、この空は、美しい。このお空には、私うまれてはじめて頭を下げたいのです。

「みんなを愛したい」と涙が出そうなくらい思いました。

 
客間のほうからお母さんたちの笑い声が、どっと起って、私は、なんだか、むかっとなった。お母さんは、私と二人きりのときはいいけれど、お客が来たときには、へんに私から遠くなって、冷くよそよそしく、私はそんな時に、一ばんお父さんが懐かしく悲しくなる。

 
いまに大人になってしまえば、私たちの苦しさ侘びしさは、可笑しなものだった、となんでもなく追憶できるようになるかも知れないのだけれど、けれども、その大人になりきるまでの、この長い厭な期間を、どうして暮していったらいいのだろう。誰も教えて呉れないのだ。

 
明日もまた、同じ日が来るのだろう。幸福は一生、来ないのだ。それは、わかっている。けれども、きっと来る、あすは来る、と信じて寝るのがいいのでしょう。

 
パタパタパタパタ、カアの足音には、特徴がある。右の前足が少し短く、それに前足はO型でガニだから、足音にも寂しい癖があるのだ。
カアは、可哀想。けさは、意地悪してやったけれど、あすは、かわいがってあげます。

 

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自分自身に対する自信のなさ、でもある時は他者と比較し優越感に浸ってみたり、美しいものに涙する。純粋さ、潔癖さゆえの批判や嫌悪感。そして自分を省みてはまた落ち込んでみたり。
多感な少女の一日なんて、そんなことの繰り返しだ。

 

でも今読んでみても「あ~、分かるぅ~」って感じなんですよねぇ。
成長していないということか?(^▽^;)
子どもの頃は、大人ってもっと「大人」だと思ってたんだけどなぁ。。。

 
太宰作品は既に著作権が切れており、ネットで全文を読むこともできますが、読んでみて「いいな」って思ったら本も買ってくださいね♪(他社さんのだけど)

 

新装版がいろいろ出てますね。

カバーデザイン:祖父江慎×カバー写真:梅佳代 ですって!
豪華コラボですねー。
『女生徒』

 

 

デカ文字でもどうぞ。

 

こちらもコラボです。
小説見開き2ページ+写真見開き2ページが交互に繰り返されます。

 

 

私生活では、何度も自殺や心中未遂を繰り返すなど波瀾万丈であった太宰。
幼少時に愛情を受けられなかったことが、彼の抱える生きづらさの根源であり、人生に影響を与え続けたといわれている。
紛れもない才能と純粋な心を持ち、その作品は死後何十年も愛されているというのに、彼自身は本当に充足した幸福感というものを手に入れることができなかったのだ。
悲しいです。

 

そんなことを考えていると、先日急逝したSUPER STARの顔が浮かんできました。
ここ数日「マイケル・ジャクソン 栄光の軌跡」的な特集がよく流れていましたが、その中で「彼は自分自身に対する自信というものが絶対的に無い人だった」と誰かが言っていました。虐待や金銭トラブルなど、彼の幼少期も問題が多くあったといいます。

 

子ども時代が幸せじゃなかった人間は、どうやってもその呪縛から逃れることができないのだろうか?
そうではない、と思いたい。
でも彼らだって、結婚し親となり、いわゆる「普通の幸せ」というものも模索しただろうし、彼らなりに努力はしていたはずだ。だけどうまくいかない。
どうやって生きていけばいいのか?誰も教えてはくれないのだ。

 
今になってCDやDVDが激売れです。
でも私もポチらずにはいられませんでしたー。・゜゜・(≧д≦)・゜゜・。
昨年、生誕50周年記念として出されたベスト・アルバム

「キング・オブ・ポップ-ジャパン・エディション」

  

80~90年代のビデオクリップ集

「ビデオ・グレイテスト・ヒッツ~ヒストリー」

 
世界最強にして伝説のライブらしい。
「ライヴ・イン・ブカレスト」

少年時代のすごく伸びのある高音ボイスや天使のような優しい歌声もいいですね。( p_q)
「ベンのテーマ ~ベスト・オブ・マイケル・ジャクソン 」

今年のクリスマスはこれを聴きます!
「クリスマス・ベスト」

08.12.06

とんがりジョン

12月になると,岡山でも目抜き通りは街路樹に電球を巻いたイルミネーションが灯り,あわただしくも華やいだムードに街全体が染められます。
12月末の決算に向けた追い込み,一年間の取引をぜんぶまとめての諸処理,さらには,そのまま3月年度末の出版ラッシュになだれ込んで…と,一年でもっともバタバタする季節が近づいてきました。
がんばるぞ!

 

そんな中今年も12月8日,ジョン・レノンの亡くなった日がやってきます。
あれからもう28年,私もいつの間にかジョンの享年を追い越してしまいました。
それでも,とにかく今年もまた12月8日です。

 

私はもう30年以上ロックを聴いていますが,何を求めてロックを聴くのでしょうか?
心地よい気分になりたい,過ぎ去った青春の甘酸っぱい回想に浸りたい,今日も一日仕事がんばろうと気合を入れたいなど目的はいろいろで,目的別のアーティストやお気に入りのアルバムも自分の中でカテゴライズされています。

 

では,ジョン・レノンはいつ聴きたくなるのか?
どうしようもなく心があわ立つとき,とがった気分を解放したい時ってありますよね。
私も人間ですから。誰でもね。
そんな時,私はジョンに救いを求めます。
救い,と言っても決して「癒し」ではなく,ささくれ立っていて,聴いていると余計心があわ立つような,そんなジョンを聴きます。

 

ご存知の通り“ジョンの魂”は1970年,ビートルズの実質的解散後しばらくしてリリースされた,実質的なソロ第1作です。
CD化されて“パワー・トゥ・ザ・ピープル”がボーナストラックとして追加収録されています。
代表曲でありながら,狂気じみたボーカルのためかベストアルバムからオミットされている“マザー”に始まり,あまりに生々しくて,痛々しかったり,悲しかったりと聴いていて良い気分になんかなれるはずのない曲の連続です。
でも,もう30年近く,このアルバムを手放すことができません。
きっとこれからもずっとそうだと思います。

 

どうしても,特に亡くなってからは“イマジン”“ハッピー・クリスマス”などに代表される「愛と平和のメッセンジャー」としてのジョンがクローズアップされるし,それは間違いなくジョンの一側面だし,止むを得ないことだと思うのですが,傷つきやすい,不安定,本質的に弱いなど,誰もが持っている“人間の本質”を詞と曲とボーカルに託して,隠すことなくさらけ出していることこそ,唯一無二の存在であるジョンのジョンたるゆえんだと思います。

 

“パワー・トゥ・ザ・ピープル”は,ジョンが亡くなった直後,評論家の渋谷陽一さんがやった“追悼”番組の冒頭の曲でした。

あまたある“追悼”番組の中,明らかに異質で,強烈な印象を残した番組でした。
一言もしゃべらず,40分間ひたすら曲だけ流した番組でした。

ジョンの魂は曲の中にこそある,そういう意味だったと思っています。

08.11.08

晩秋のたそがれに切ない歌声を聴いた

秋も深まってきました。今日は立冬ですね。
画像はおととい撮った岡山大学の遠景です。小さくて分かりにくいのですが,西から見た理学部の正面です。
一昨日,打ち合わせで入構した折に,きれいだったので失礼して撮らせていただきました。
鮮やかに紅葉しているのは岡山県の誇る国宝・閑谷学校でも有名な楷の木です。
確かなことは知らないのですが,閑谷学校の木が分けられて来た?と聞いた記憶があります。
間違っていたらすみません。
西から東へ理学部を望む
今日は打ち合わせで愛媛県松山市に出張していました。
松山に午後4時ごろまでおり,そこから国道317号線経由で山の中を今治市に向かいましたが,木々がそれぞれ違う色の紅葉や黄葉を見せ,山全体が燃え立つように膨らんで見えて,これぞ晩秋という風情が溢れていました。
晩秋のたそがれに,エイミー・マンの切なくて,それでいてどこまでも澄んだ歌声がよく合いました。
唐突ですが,私は海外のロックやポップスが好きです。
1963年10月生まれの45歳で,最初にLPレコード(アナログ盤)を買ったのが1977年だから,リスナーとしてはかなり古株です。
かつて競い合うようにロックを聴いていた同世代リスナーは少なくなりましたが,私はもうしばらく「今の音楽」に付き合っていきたいと思っています。
さすがに次々と現れる10代とかの新人バンドは聴けなくなりましたが…。
エイミー・マンは私がまだ学生のころバンドでデビューして以来今日まで,3年おきくらいにはきちんと新作をリリースしてくれる女性ボーカリストですが,憂いや陰りをたっぷり帯びたボーカリゼーションはベテランのなせる業であっても,その澄んだ歌声と見事なプロポーションはいつまでも若々しく,年齢(4●歳)が信じられません。
彼女のリリースする新作はいつも晩秋を切なくさせてくれます。
私にとって晩秋にもっとも聴きたくなるアーティストのひとりです。趣味の話ばかりになってしまいましたが,ふくろう出版のブログであることを忘れずに,仕事のことも書いていきたいと思います。
これからよろしくお願いします。