▼2008 年 12 月 6 日 のアーカイブ

08.12.06

とんがりジョン

12月になると,岡山でも目抜き通りは街路樹に電球を巻いたイルミネーションが灯り,あわただしくも華やいだムードに街全体が染められます。
12月末の決算に向けた追い込み,一年間の取引をぜんぶまとめての諸処理,さらには,そのまま3月年度末の出版ラッシュになだれ込んで…と,一年でもっともバタバタする季節が近づいてきました。
がんばるぞ!

 

そんな中今年も12月8日,ジョン・レノンの亡くなった日がやってきます。
あれからもう28年,私もいつの間にかジョンの享年を追い越してしまいました。
それでも,とにかく今年もまた12月8日です。

 

私はもう30年以上ロックを聴いていますが,何を求めてロックを聴くのでしょうか?
心地よい気分になりたい,過ぎ去った青春の甘酸っぱい回想に浸りたい,今日も一日仕事がんばろうと気合を入れたいなど目的はいろいろで,目的別のアーティストやお気に入りのアルバムも自分の中でカテゴライズされています。

 

では,ジョン・レノンはいつ聴きたくなるのか?
どうしようもなく心があわ立つとき,とがった気分を解放したい時ってありますよね。
私も人間ですから。誰でもね。
そんな時,私はジョンに救いを求めます。
救い,と言っても決して「癒し」ではなく,ささくれ立っていて,聴いていると余計心があわ立つような,そんなジョンを聴きます。

 

ご存知の通り“ジョンの魂”は1970年,ビートルズの実質的解散後しばらくしてリリースされた,実質的なソロ第1作です。
CD化されて“パワー・トゥ・ザ・ピープル”がボーナストラックとして追加収録されています。
代表曲でありながら,狂気じみたボーカルのためかベストアルバムからオミットされている“マザー”に始まり,あまりに生々しくて,痛々しかったり,悲しかったりと聴いていて良い気分になんかなれるはずのない曲の連続です。
でも,もう30年近く,このアルバムを手放すことができません。
きっとこれからもずっとそうだと思います。

 

どうしても,特に亡くなってからは“イマジン”“ハッピー・クリスマス”などに代表される「愛と平和のメッセンジャー」としてのジョンがクローズアップされるし,それは間違いなくジョンの一側面だし,止むを得ないことだと思うのですが,傷つきやすい,不安定,本質的に弱いなど,誰もが持っている“人間の本質”を詞と曲とボーカルに託して,隠すことなくさらけ出していることこそ,唯一無二の存在であるジョンのジョンたるゆえんだと思います。

 

“パワー・トゥ・ザ・ピープル”は,ジョンが亡くなった直後,評論家の渋谷陽一さんがやった“追悼”番組の冒頭の曲でした。

あまたある“追悼”番組の中,明らかに異質で,強烈な印象を残した番組でした。
一言もしゃべらず,40分間ひたすら曲だけ流した番組でした。

ジョンの魂は曲の中にこそある,そういう意味だったと思っています。