▼‘テレビ・映画’ カテゴリーのアーカイブ

11.11.20

オーストリア皇太子 フランツ・フェルディナント公とその時代めぐって2題

オーストリア「皇太子」の日本訪問 訳・著 渡辺 肇

オーストリア「皇太子」の日本訪問 訳・著 渡辺 肇



新刊!『オーストリア「皇太子」の日本訪問』 ただし非売品です…

10月、1冊の書籍が完成しました。

         『オーストリア「皇太子」の日本訪問』

弊社の書棚に乗ることのない「新刊」です。
著者は渡辺 肇(はじむ)倉敷芸術科学大学教授。国際金融を専門とするベテラン研究者です。書棚に乗ることがない、とは図書コードの付いていない自費出版の形なんです。

書籍の中核をなすのは、国賓として明治時代中期の日本を訪問したオーストリア皇太子 フランツ・フェルディナントの著した訪問記の日本語訳。その他、渡辺教授による欧州訪問記5編が収められています。

フランツ・フェルディナント公(文中写真)

フランツ・フェルディナント公(文中写真)


1914年6月28日にサラエボ市内で暗殺された事件が第一次世界大戦の発端となったことで知られるオーストリア皇太子 フランツ・フェルディナントは、1893(明治26)年8月に日本を訪問し、長崎から熊本、京都、大阪、奈良、名古屋、箱根、東京、横浜などをめぐって宮城に明治天皇を表敬訪問もしています。自ら筆を取り、紀行文として書かれた本稿には日本の国内の様子が詳細に描写されていて、数多くの写真も付されています。当時を伝える貴重な史料として価値あるものです。

最近、書店でもこうした史料を書籍化したものをたくさん見かけますが、それらと見比べても資料の貴重さという点でそん色ないと思われますし、訳者はかつて企業のウイーン支社長として赴任した経験を持ち現地の文化にも造詣が深い人物なので、現地でしか見ることのできない写真も数多く紹介されていて(現地の公立博物館より許諾を得て転載)、非常に充実した内容となっています。

装丁も含め、売り本として十分に成立する水準だけに、担当者としては図書コードなしという点のみが気分的にやや複雑…。

文中の写真ページ1

 文中の写真ページ1


航海時の服装や船上の様子がよく伝わってきます。
暗殺された時に乗っていた乗用車や着用していて血染めになった軍服は、保存・展示されているのですね(ウイーン軍事史博物館)。

文中の写真ページ2

 文中の写真ページ2


他にも、熊本城、名古屋城など日本国内の名所が当時の姿で収められた写真、大阪・梅田駅などの今とは全く様子の異なる様が映っている写真など、貴重なショットが満載です。


最近こうした書籍をたくさん見かけますが、
史料としての貴重さではそん色ないはず。
でも、残念ながらご購入いただくことはできません…。



美しい映像と頑固で冷徹なハネケ・ワールド

2009年、カンヌ映画祭のグランプリ「パルム・ドール」を受賞したミヒャエル・ハネケ監督のドイツ映画
        「白いリボン」

は、フランツ・フェルディナント公夫妻がサラエボで暗殺されて第一次世界大戦の開戦へと流れゆく時代のドイツ北部の農村を舞台にしたドラマです。

淡淡とした展開、美しい農村の風景とセピア調の自然光を生かした映像の中に、人の「心」の脆さというか些細なきっかけで地域の信頼関係が崩れる様が描かれた、観る者に不安感を抱かせるような映画、エンターテインメント性を徹底して排除したハネケ監督らしい作品です。
ドイツの寒村で続けざまに起こる小さな事件が積み重なり、住民が互いの信頼関係の喪失に追い込まれていくさま、支配する立場の者たちが無意識のうちにどんどんと弱者を追いこんでいくさまが描かれていて、忍び寄る不穏な時代の空気をうかがわせる…といったトーンです。

過剰な演出は一切なく、音楽も劇中の讃美歌を除いては一切使われていません。長回しのシーンも多いので、出演者にとっては緊張を強いられる現場だったのかなーとうかがえます。
作品の質感こそ全く異なるものの、その演出のみをとれば、日本の生んだ映画界の巨星、小津安二郎監督の影響も垣間見えました。2人の登場人物が会話するシーンでカメラの位置が右、左、右、左と入れ替わる、小津監督お得意のカメラワークもしっかり引用されていました。

この映画、一言でテーマを語ることはもちろんできませんが、とっさに浮かんだのは

         『北風』はダメ!  『北風』はダメ!  『太陽』で!

てな言葉でした。
乱暴なまとめ方ですみません。だけど、真理だと思います。さすがハネケ監督。



[2009年ドイツ 監督:ミヒャエル・ハネケ]

※ 誰でも知っているような著名な俳優さんは1人も出演していないし、最初は登場人物の相関関係を頭で整理するのに苦労しました。2度、3度と繰り返し観ていくうちに、だんだんとその怖さ、不安さが見えてきます。時間をかけてじっくり鑑賞するのがお勧めです。
公式サイトはこちらです。

11.10.05

考えずにいられない―映画『日輪の遺産』と辺見じゅん氏の訃報に寄せて―

[映画 『日輪の遺産』 鑑賞記]

原作は文庫で500頁を超える大作。尺に収めるためには、どこかを端折らなくてはいけないんじゃないか…。
そう思っていたところ、やはり登場人物にはかなり大胆な設定変更が。
しかし、物語は淡淡と進み、主人公である軍人と教師の“大人”役俳優は演出も控えめで、特に印象に残る台詞も無いまま進んでいく。
屈託なく笑い、歌う少女たちの姿ばかりが印象的。
そうか、これは少女たちの映画なんだ、と途中から気づかされる。
13~14歳の、女学校の生徒20人(キャラクターを際立たせるためか、人数が原作よりも大幅に少なくなっている)。

朗らかに響く少女らの歌声。
 「出てこい、ミニッツ、マッカーサー、出てくりゃ地獄へ逆落とし」
醜悪な歌詞と屈託のない少女らの笑顔、朗々とした歌声、そのアンバランス。

エンディングも近づき、8月15日が来て戦争は終わった。
しかし、13~14歳という、まだあどけない少女たちにはやることが残されていた。
彼女たちには自らの身に引き換えてでも守るべき、さらに小さな存在、小さな平和、小さな未来があった…。

 8月15日が来たからといって、いきなり
 「戦争は終わった、明日から復興だ、新しい日本を築こう」
 と前向きになれたわけはない。
 一家の柱である父親は戦地に取られて死んだり消息不明…。
 片や、生還したことを恥じて人目をはばかる人もいる。
 誰もが明日の暮らしの何1つの保障もない。
 幼い弟や妹を飢えさせずに生かしたい。
 乳離れすらしていない赤ん坊を死なせたくない。
 でも、どうすれば…。


明日のため、家族というちっぽけでも2つとない自分自身の世界を守るため、必死に戦後を生きた先人たちについて、往時を生きていない私たちは到底知る由もなく語る資格はないのですが、せめて自分自身に問いかけてみよう、とそんなことを考えさせられる映画でした。


『日輪の遺産』(浅田次郎、講談社文庫、1997)



[辺見じゅん著 『戦場から届いた遺書』 読後記]

先月、9月21日に亡くなった女流作家 辺見じゅん氏は戦地に赴いた兵士の日常生活、家族への思い、望郷の念などをその日記や戦地からの手紙、あるいは遺書などに綴られた「小さなことば」に見出し、粘り強く綿密に取材を重ねては、当時の人びとの真の心に迫り、後世に伝えることに腐心し続けた方です。

この本は、太平洋戦争中、戦場に赴いて二度とふたたび家族に会うことなく死んだ兵士たちの綴った遺書の「小さなことば」に込められた切実な思いを伝えるセミ・ドキュメント。

終戦間際に突如侵攻したソ連軍に捕虜として取られ、戦争はとうに終わったのに収容所で無念の死を遂げなくてはならなかった45歳の父親が子どもに語りかけた「遺言」を読んで、思わず身震いし身のすくむ思いがしました。

『戦場から届いた遺書』の結びで
 「死者たちの小さな、しかし真実の叫びに耳を傾け、歴史の真実を知ること」
の重要性を著者 辺見じゅん氏は説き、死者たちの声こそが21世紀の日本を生きる現代の日本人への遺産であると述べ、彼らが私たちに遺した「遺言」と、今の日本は全く裏腹の姿になっているのではないかと警鐘を鳴らしています。

 日本人である私たちの心の中に、死者は間違いなく生き続けている。
彼らの死が無駄になってはいけない。無駄にしてはいけないと、考えずにいられません。

それにしても、こうした労作があってこそ、平和を享受して生きる私たちが、たとえおぼろげにであっても、大きな時代の潮流に翻弄され若くして死なないといけなかった人びとの心の声を感じ取ることができるのですよね。
辺見氏の遺志に感謝し、ご冥福をお祈りします。

まったく今年という年は、震災とか原発事故とか9.11から10年とかいろいろなことが重なって、いろいろなことを考えさせられずにいられない年ですね。


『戦場から届いた遺書』(辺見じゅん、文春文庫、2003)


『男たちの大和』(上)(辺見じゅん、ハルキ文庫、2004)
実弟 角川春樹氏により映画化されたこの作品、
映画の印象が強いですが、こちらも乗艦していた人びとの内なる声、
その思いに迫る、胸熱くなる本です。




『最後の言葉』(重松 清・渡辺 考、講談社、2004)
戦地で回収された兵士の日記をよりどころに、彼らが何を見、何を考えて生きたかを探ったルポルタージュ。
 ※ 単行本は品切れのようですが、文庫が出版されています。

11.09.14

モフモフ♪ZIPPEI 岡山滞在中

朝からウツウツ気分になりがちな、世知辛い世の中です。
それでも、お部屋代を払うため、ご飯を食べるためには、働かなくてはなりません。
そんなやさぐれOL(?)出勤前のつかの間の癒しといえば、

「めざましテレビ」(フジテレビ)の「きょうのわんこ」、

そして「ZIP」(日本テレビ)出演、真っ白ふっさふさの可愛いわんこ「ZIPPEI君」です。

 

そのZIPPEI君、今週はココ岡山県に滞在中です。ワオン♪(U・x・U)

今朝の放送は、県北、鏡野町訪問の様子でした。

 

岡山の温泉といえば美作三湯(湯原・奥津・湯郷)が有名なのですが、その中の一つ、奥津温泉を有しているのが鏡野町です。
かなり山深いところですが、その秘湯っぽい雰囲気が゚+.(・∀・)゚+.゚イイ!!といわれています。

 

そして、このほど女子サッカーチーム「湯郷ベル」のメインスポンサーに決まった山田養蜂場の本社があるのも鏡野町です。

 
先日、所用があって鏡野町近辺に行ったのですが、通りすがりに「山田養蜂場お菓子工房 ぶんぶんファクトリー」なるものがあったので立ち寄ってみました。
それぞれ試食できる10種類くらいのはちみつと、はちみつを使ったお菓子、化粧品などが販売されていました。
ソフトクリームにも惹かれたのですが、それは岡山駅にもあったと思うので、はちみつジェラートを買ってみました。
ちゃんとはちみつの味が感じられ、やさしい甘みで美味しかったですo(*^^*)o~

 

 

ZIPPEIと同じサモエド犬。ブログで人気となったクローカ君です。
かわいい~白くて大きなモフモフちゃん(*´∇`*)
モフモフください。
 

『モフモフ売りがゆく! サモエド・クローカの日記』

 

 

「モフモフ」で検索するとアルパカちゃんもでてきました。
うぅっ・・・。可愛いじゃないか。
そうそう、「クラレちゃん」でお馴染み、株式会社クラレも岡山創業の企業です。 

『もふもふはなこ』

 

白いふわふわもこもこって、やっぱり最強!  
もふもふしたい、もふもふしたい、もふもふしたい、もふりたいっ!!


  『モフモフ家族』

11.09.11

小津安二郎監督の“反戦”について      -吉田喜重『小津安二郎の反映画』未読了-

先週末、台風12号は岡山に上陸し、私の住む地域では小学校の裏山が崩れて校舎内に土砂が流れ込み、3日間の臨時休校を余儀なくされました。再開後も一部の学年は近隣の中学校を借りて授業をしているようです。
平日で児童がいたら、あるいは(避難所指定されているため)ここに避難してきている人がいたら…と思うと空恐ろしくなりますが、せめてもの救いに人的被害はここ岡山ではありませんでした。
紀伊半島を中心として大きな被害を受けた地域の皆様には、謹んでお見舞い申しあげます。

一階部分が完全に埋まった郷内小学校の校舎(授業は8日から再開しました)



10年が経ち、そして半年が経ちました

さて、今日は9月11日。ニューヨークで起こった同時多発テロから丸10年。同時に東日本大震災から半年です。
テロと自然災害、経緯はまったく異なりますが、一瞬でおびただしい数の人びとに苦痛と悲しみを与えたカレンダーの対角上になる2つの大惨事は今後20年、50年、100年といったスパンで人びとの記憶に刻まれることでしょう。
どちらも繰り返し起こってはいけないこと。人として記憶に刻み続けなくてはならないことだと思います。



小津安二郎監督の“反戦”について

私がこよなく愛して止まない映画に「晩春」「麦秋」「東京物語」「秋日和」「秋刀魚の味」他、小津安二郎監督の戦後の作品があります。
小津安二郎は戦前戦後を通じて活躍した松竹の映画監督で、サイレント時代の喜劇映画も有名ですが戦後に撮った松竹の10本と他社の2本の計12作品は特に名高く、国内・海外の数多くの映画監督に多大な影響を与えた偉大な監督です。
ただ、観た人すべてが同じ感想を抱くように、その作風は一貫して

  「ありふれた庶民の日常生活」
  「平凡な家族の当たり前の生活」に起こった小さなできごと

を冷静な視点で捉えた、とても穏やかな、見ようによっては退屈と思えるほど淡淡としたものです。大きな事件や派手なアクションは一切ありません。
ただ、静かでさりげないがゆえに強くて重い主張を感じずにはいられない、そういう場面がどの作品にも必ず織り込まれています。

小津監督は昭和12年に34歳で召集され、ほぼ2年の間、中国国内を一兵士として転戦しています。毒ガス部隊に配属されるなど、恐らくは人を苦しめ、死に至らしめるような所業にも関わらざるを得ない日日だったと思われます。1903年生まれの小津監督にとって、また恐らくはその時代に生まれた人びとにとって、それは是非を超え、避けて通ることのできない日日だったのではないでしょうか?

そうした自分の体験も間違いなく背景にあって、残虐で非人間的な戦争という悲劇をなぜ人は起こしてしまったのか、声高な主張は一切ありませんが、明確な反戦のメッセージを伝えようとしているのが分かるのです。



「映画はドラマだ、アクシデントではない。」
   -小津安二郎監督 語録(吉田喜重氏の回顧より)


松竹で小津安二郎監督の後輩であった映画監督の吉田喜重氏は、著書や対談で小津監督について

  「小さなずれを生じながら反復される毎日の生活」 こそが人間の営みである
 との視点を持っていて、
  「繰り返す毎日、日常にささやかな平和、楽しみ、喜びを見つける」
 ことが一貫してその作中に流れるテーマである

と語っています。
そうした本来の姿を持つはずの人間が、時に戦争やテロといった大きな出来事を引き起こすのはどうしてなのか…。
時を超え、戦後10年以上が経過しても変わらぬ視点で淡淡とつづられる庶民生活の場面の数数は、裏返せばそれ自体が人の愚かな習癖に対する疑問であり監督の問い掛けであるかと感じられます。

  「映画はドラマだ、アクシデントではない。」

死の床にある小津監督を見舞った吉田監督と妻の女優 岡田茉莉子さんに、病床の小津監督が掛けた生前最後の言葉として吉田監督が紹介しています。戦争や9.11、そういった大きな出来事は絵空事、アクシデント。それに対し、ドラマは毎日繰り返される日常的な営み。そういう自分の考えを伝えたかったのではないかと吉田監督は言います。

人間は本来、繰り返す日常を淡々と過ごす存在であり、人生の中で大きなアクシデントを起こすものではない。
しかし、
一度犯してしまうと取り返しのつかない悲劇となり、一瞬にして発生し、長きにわたって多くの人に苦しみと悲しみを与え続ける、そうしたアクシデントを繰り返してしまうのもまた人間の業

それもまた分かっている。
でも、どうしてそんな必要があるのか?

人間が本来持つ穏やかで平和な面を描き続けた小津監督の映画(ドラマ)を、そこに込められた戦中世代の痛切なメッセージを、その痛みを知らないで育った私たちではありますが、感じ取り次世代へと語り継がなくてはいけないと思います。


[吉田喜重『小津安二郎の反映画』岩波現代文庫、2011. 6(未読了です)]


[日本映画の至宝 小津安二郎監督の作品セレクションⅠ]


[日本映画の至宝 小津安二郎監督の作品セレクションⅡ]

11.09.07

☆星新一が見通していた未来☆

秋風が肌に心地よい季節となりました。
先日の台風12号により被害を受けられた皆さまには、心よりお見舞い申し上げます。

これから実りの秋を迎えるわけですが、今週発売のライバル経済誌、奇しくも同じ「コメ」特集となっていました。

 

センセーショナルなコピーはあまり気持ちよくないですが・・・。

「週刊 ダイヤモンド」2011年 9/10号
 

 

「週刊 東洋経済」2011年9/11号
 

 

そして話はガラリと変わりますが、昨日9月6日は、
「ショートショートの神様」星新一 生誕85周年!
という記念すべき日でした。
Googleトップページって、季節感だけじゃなく、○○記念日なども教えてくれて、気が利いてますよね♪

 

星作品というと、小学校高学年~中学生時代に出会う人が多いと思います。私もその時代にすごくはまって読み漁り、刊行されていたものはすべて読破しました。
でも当時、SFのショートショート=小説の中ではちょっと格下、ラノベなどと同程度と思われていたふしがあり、「あんなものは小説ではない」などと言う先生もいました。
ですが1,000話以上に及ぶアイディアはやっぱりすごいし、誰にでも読める(理解できる)文章を書くというのも、実はすごく難しいことだと思います。
近年になってNHKで映像化されるなど、再評価著しいようです。

 

「星新一 ショートショート」 DVD-BOX

 

「星新一 ショートショート 1」 [DVD]
 

そして星新一といえば「エヌ氏」ですよね♪
「固有名詞を使わない」、「時代の風俗を描かない」ことをモットーとしていたため、その作品には普遍性があり、時を経ても古くさくなることがないのです。
また、TV番組「ビーバップ!ハイヒール」(朝日放送)で見たのですが、再販がかかったり、新装版が出たりする度にゲラをチェックし、時代に合わなくなった言葉を別の言い方に変更するなど、細かな手入れをされていたそうです。さらりと書かれているようで、たゆまぬ努力があったわけですね。
  (例)「ダイヤルを回す」→「電話をかける」 など

 
また、彼の先見の明についても、最近特に注目されています。
確かにその作品の中には、30年、40年以上前に書かれたものでありながら、ネット社会、Free(何でも無料)時代、クローンや臓器移植問題などといった現代社会を連想させるものが多々描かれているのです。
もっと便利に、もっと楽しく快適に・・・。果てることない人間の欲望。

それを叶えるべく、科学技術は進歩を続ける。
快適さや利便性を追求し続けた結果の未来(=現代)の世界。
どこまでも読みやすい。
だけど現代社会の諸問題を考える入門書としてもよいのかもしれませんね☆

 

『ボッコちゃん』
 


『妄想銀行』

11.09.02

9月1日は防災の日

210日は今年も荒れ模様…

9月1日は防災の日。
また、この時期は古来言われる「210日」、一年で台風がもっとも発生しやすい時期です。それに合わせたかのごとく、台風12号の接近で、週末は全国どこもが荒天模様ですね。
被害のないことを祈るばかりです。




ハリケーン「アイリーン」の被害を受けられた皆様へ謹んでお見舞い申しあげます


日本にやってくる台風12号も気懸かりですが、先週米国東海岸に上陸、縦断していったハリケーン“アイリーン”は死者27名、500万戸が停電という甚大な被害をもたらし、経済損失は70億米ドル(日本円にして5300億円)に上るとされています。たいへんな惨事です。


人的被害(決して数値で取り沙汰できるものではありませんが)は、1000人をゆうに超える尊い人命が失われた2005年の“カトリーナ”(これも210日前後だった)の時を考えると、その経験が生かされたのかなとも感じますが、5300億円の経済損失って…絶句してしまいます。
ただでさえ国債の格付け下落という事態があったばかりのところへ、この大災害。5月下旬にミズーリ州で発生した史上最悪の巨大竜巻をはじめとした竜巻の多発といい、米国も今年は自然災害に見舞われる1年です。被害に遭われた方々へ、謹んで心よりお見舞い申しあげます。
アイリーン災害について報じたCNNのニュースサイトはこちら



今この時期に読みたい本、観てみたい映画


さて、浅田次郎原作『日輪の遺産』が映画化され、先週末封切られました。

原作は、終戦前夜、日本軍がフィリピンの米司令官だったダグラス・マッカーサーから奪った財宝を隠す命令を受けた少佐と下士官、何も知らず勤労奉仕にあたる35人の少女たちと引率の教員を主人公に、1945830日にマッカーサーが厚木に降りたち、GHQによる統治が始まったころの動乱の日日を克明につづった長編小説です。
フィクションとはいえ、史実をきわめて綿密に辿ったドキュメントの部分もあり、
814日から15日にかけての陸軍省での緊迫のやり取りなどを生生しく読み取ることができます。

浅田氏にとって長編処女作となるこの作品、『地下鉄(メトロ)に乗って』『壬生義士伝』『シェエラザード』やいくつもの短編でおなじみの、「現在」から「回想」への見事という他ない場面転換の手法がすでに見られます。

浅田氏が「稀代のストーリーテラー」といわれるゆえんでしょうが、分かっているのに毎回「やられ」てしまい、魅入られたようにいつしか浅田ワールドにはまり込んでしまう自分がいます。



日本が未曾有の大災害に見舞われたこの2011年、マッカーサーが日本に降り立ちGHQの支配が始まった8月末に、1945年当時の人びとの生きざまを克明に描いたこの小説が映画化される意味を考えながら、1945815日を境に、全国民がいかにして一丸となり復興へと力強く一歩を刻んだかに思いをはせて、久しぶりに映画館へ行ってみようかなー。

 

 1945830日 マッカーサー元帥、厚木飛行場へ降り立つ。
 1945
92日 東京湾上に浮かぶ戦艦ミズーリの艦上で降伏調印式。重光葵外務大臣が
           調印。ポツダム宣言の受諾、日本の無条件降伏が正式に決まる。
 1945
927日 昭和天皇とマッカーサー元帥が面談


『日輪の遺産』角川映画、原作=浅田次郎、監督=佐々部 清、出演=堺 雅人、中村獅童、ユースケ・サンタマリア他。全国で上映中です。公式サイトはこちらです。


11.08.31

どじょうと金魚とプラナリア

日中の暑さは相変わらずですが、朝晩は随分過ごしやすくなってきた気がします。

今日で8月も終わり。早いですね。
良い子のみんな、宿題はちゃんと済ませているかな?

今も昔もチビッ子達を悩ませる宿題といえば、自由研究、絵日記とかでしょうか??
小学生の頃、プラナリアの再生実験に挑んだものの、予想をはるかに超える増殖っぷりに恐れをなし・・・・・・▽※%◎◆×※○▲ということがありました(-_-;)

苦い思い出です。 

 

 

『切っても切ってもプラナリア』

 

 

そして大人の世界では、野田さんが新総理大臣に決まりました。
「どじょうが金魚のまねしてもしょうがない。」

という部分がクローズアップされていましたが、相田みつをファンって政治家の中にも多いんですね。。。   
   
そういえば似たような言い回しがあったなぁ・・・。
そう、これです。  
  「愚かなる行いのほとんどは、
   自分とは似ても似つかない人間のマネをしようとすることから生じる
                          (サミュエル・ジョンソン)」

 

どじょうの詞をご希望の方はこちらをどうぞ

『おかげさん』

 

野田さんの演説力はピカ一だったと、各所であまりにも絶賛されているので、全文を聞いてみたくなりました♪o(^-^o)♪
アメリカの大統領にはスピーチライターがいますが、野田さんにもそういう人がいるのでしょうか??

 

世界を揺るがす決断がなされる場所、ホワイトハウス。
アメリカ大統領と彼を支えるスタッフたちを描いたドラマがこれ。
すごく面白いです。おすすめ☆
 
「ザ・ホワイトハウス」1stシーズンDVD

   
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先週1週間、インターンシップに来られていた学生さんから、丁寧なお礼状をいただきました。えらし!です。ありがとうございました。
振り返ると1週間、本当に早かったです。お疲れ様でした。
TMさんは勘がいいんでしょうね。よく気がつくし、お愛想もできる。
本当にいい子、といっては失礼かもしれませんね、いい人材だと思いました。(*゜-゜*)
これから色々なことがあると思いますが、いい事だけじゃなく、悔しかったり、辛かったりしたこともすべて、経験は財産になると思います。
TMさんの今後のご活躍を祈っています☆

10.12.27

そしてひとつの時代が終わった

もぉ~~~、やっとです。
最後の最後で笑い飯、悲願のM-1グランプリ優勝です!

 

紳助が言ってたように、これまでわざと逃してた感もあって、勝つ気ないのかな、と思っていました。
だけど優勝後の涙を見て、あぁ、彼らも本当に勝ちたかったんだ、ちゃんと戦ってたんだな、ということがよく分かった(;;)。本当によかったよ。

おめでとーーーー! (≧∇≦)/(≧∇≦)/(≧∇≦)/(≧∇≦)/

 

笑い飯1本目は、昨年100点を出した鳥人と同系ネタ。デジャブ・・・。
それ自体はおもしろかったものの、1年前の悪夢(決勝2本目でまさかの下ネタ)が脳裏をよぎる。

 

そしてスリムクラブ。
衝撃でしたね。めっさ笑いました。
目新しさって有利だし、もしやまさかと、いごっそ怖かった!

 

だけど、あれって漫才でした??
本人も言ってたけど「セキュリティ甘すぎ」?(^▽^;)
キャラじゃなく、ネタの上手さ、面白さで笑わせる漫才王者を、というのがM-1そもそもの成り立ちだったはず。
なので2本目の盛り上がりが今一つだったにしても、「取らせてあげたかった」気持ちがあったとしても、笑い飯の優勝は妥当p(・∩・)q

 

M-1グランプリ the Best 2001~2003 [DVD]


 

 

フットボールアワーが優勝するはずだった(私基準)2002年。
ラストイヤー、かつ非吉本をアピールしていた「ますだおかだ」が優勝。
笑い飯の悲喜劇は、思えばこれが始まりだった。

 

翌2003年、今や伝説の「奈良県立歴史民俗博物館」ネタをひっさげ、笑い飯優勢。
でも、(前年のことがあるから?)フット優勝。

 

それ以来、M-1舞台で笑い飯がすべるたび、もしもあの時と、夢想せずにはいられなかった。
だけどラストイヤーで優勝を決めた今、すべてはこのための、長い長い前フリだったのかとも思えてくる。

 

M-1の歴史は笑い飯の歴史。
毎年インパクト大の伏兵が出てくる中、9年連続決勝進出の実力は伊達じゃない。
これも一つの伝説。

 

M-1グランプリ2002完全版~その激闘のすべて・伝説の敗者復活戦完全収録~ [DVD]

この年のベストはフットの1本目「ファミレス」。
だけど笑い飯も鮮烈なデビューだった。面白かった。
 

 

M-1グランプリ2003 [DVD]

笑い飯1本目の博物館ネタは必見!
フット大好きだけど、このときは笑い飯行った!と思った。 

 

 

ネット上では素人の票で決めるべきって声が多いけど、一般人票を採用していた2001年見たら考え変わると思う。

 

M-1グランプリ2001 完全版 ~そして伝説は始まった~ [DVD]

 

 それにしてもM-1終わっちゃうのは、本当に寂しい(;△;)。
今やS何とかバトルとか、1,000万円のインパクトは薄れたものの、年に一度の大舞台「M-1」ブランドの重みっていうのは、やはり別格だと思う。
来年からの年の瀬は、何を楽しみに生きていけばいいのだろう・・・。

10.12.21

もしもサンタクロースに兄弟がいたら・・・

もうみっつ寝るとクリスマス・イブですね。
というわけで、今日はクリスマスにお薦めの映画をご紹介します。

 

「ブラザーサンタ」

サンタクロースには兄弟がいた!という設定のこの物語。面白かったです☆

 

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フレッドはデキのいい弟とは大違いのダメ人間。

努力はしたものの、聖人のように完璧な弟ニコラスの足元にも及ばない……。
それもそのはず、弟のニコラスこそは“サンタクロース”なのだ。
ニコラスが人に与えることを惜しまない模範的な人物である一方、フレッドは詐欺まがいの資金調達をし、その揚げ句、留置所入りする始末!
そんな中、ニコラスは妻の反対を押し切って「北極でクリスマス用のおもちゃを作る」という条件で兄の保釈に手を貸すことに。
一方北極では、怪しい能率専門家が、クリスマスを永久に廃止しようと企んでいた!
はたしてフレッドはクリスマスを救い、“家族”という素晴らしい贈り物を再び見つける事ができるのか? (Amazon内容紹介より)

 

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まず、映像がすごくキレイ(☆。☆)!

サンタの街のイルミネーションも、ソリで飛び回っている時の夜景も素晴らしい!

 

ファンタジーなんだけど、フレッドが言う皮肉や兄弟確執とかは、リアルな感じでいい。

 

特に印象的だったのは「兄弟との葛藤を乗り越える会」のシーン。
シルベスター・スタローンの弟、アレック・ボールドウィンの弟、クリントン元大統領の弟まで、本物の有名人兄弟が登場し、有名な兄弟を持った苦しみを切々と訴えるのです。
だけど弟ばっかりなんですよね。優秀な有名人弟or妹を持つ兄・姉っていうのはいなかったんでしょうか??

 

アメリカの映画やドラマでは、登場人物が「○○を乗り越える会」みたいな自助会に参加したり、個人セラピーを受けているシーンはすごくよくあって、それだけ自助会やワークショップ、セラピーがありふれている社会ってうらやましいなぁと思っていました。
どれくらいありふれているかというと、私の印象では「歯石をとってもらいに歯医者に行く」ぐらいの感覚でしょうか。誰もが行くわけじゃないし、行かない人の方が多いかもだけど、別にうわさになるほど珍しいことではない、という感じ。

 

カウンセリングやセラピーも保険適用になるといい。
心療内科など、保険がきくところって、基本的に投薬治療ですよね。
過去のトラウマだとか、自分が抱えている問題の原因を何となくでも自覚している人は、薬物治療が対症療法に過ぎず根本原因の解決にはならないように思え、敬遠してしまうと思うんですよね。
日本での自殺者、毎年3万人以上。少しは減るんじゃないだろうか。

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と、ちょっと重苦しいことを書いてしまいましたが、基本的にはファンタジーコメディー。
そしてちょっとほろりともするハートウォーミングストーリーなので、気楽に見ていただければよいと思います☆

 

「ブラザーサンタ」〔DVD〕

 

 

「ブラザーサンタ」〔Blu-ray〕

 
DVDよりもブレーレイの方が安いのは何でか?

 

 

そして、子ども時代のフレッドとニコラスを見ていて思い出した本があります。

『コブタの気持ちもわかってよ』

 

 

残念ながら絶版となっているようですね。

 
小学1年生くらいのコブタが主人公。
一部抜粋してご紹介します。

 

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ケムシをうちへつれてかえったら ママがとてもおこった。
カブトムシをつれてかえってもおこらないのに。
ぼくはケムシもカブトムシもすきなのに。

 

たいせつなおもちゃをこわされてボクはおこった。
「あなたのほうがおにいちゃんなんだから がまんしなさい」ってママはおこった。
おこったきもちはボクのなかにとじこめられる。
ボクはきもちをはきだせない。

 

じぶんのきもちをうまくはなせない。

 

おなかがいたい。

 

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おなかを抱えて転がっているコブタちゃん。
何度読みかえしても泣いてしまう(;;)
絵本だけど大人、特にお父さん、お母さんにおすすめです。

 

小泉 吉宏さんは「ブッタとシッタカブッタ」シリーズでもおなじみの作者さんです。

ブッタとシッタカブッタ〈1〉こたえはボクにある

 

 

ブッタとシッタカブッタ〈3〉なぁんでもないよ

 

仏教的なものの見方がベースになっているようで、示唆的だけどまったく難しくはなく、イラストもかわいくておすすめです。

10.12.16

クリスマスと日本人

毎年クリスマスシーズンになると、必ず聞こえてくるのがこんな声。
キリスト教徒でもない日本人が、こんなに大騒ぎをするのはなぜ?
これまで明快な答えは出せずにいたのですが、最近になって、日本人の多くは無宗教ではなく、むしろ多神教なのでは、と思うに至りました。

 

きっかけは、日本旅行の思い出を綴った外国人たちのブログ。
「日本人はみんな順番を守る。自主的に列を作る!」とか「公共の場所で騒がない」、「公衆トイレもきれいに使う」など、私たちがあまりにも当たり前だと思っていることに感動してくれていて、そのことにとても驚いた。

 

日本人の行儀のよさはどこからくるのか。
頭に浮かんだのは、今や失われつつあるこの言葉
バチがあたる
子どもの頃、この言葉にさんざん脅されたような気がします。

人が見ていようがいまいが、
「悪いことをしたらバチがあたる」、「物を粗末にしたらバチがあたる」
これはキリスト教などでいう「神はいつもご覧になっている」みたいな戒めに近いかと思います。

 

そもそも日本には「八百万の神」という言葉があるように、山には山の、川には川の、岩や木、かまどやお箸、米の一粒一粒にまで、ありとあらゆる神様がいた。
そこから自然に対する畏敬の念や、物に感謝し大切に使う「もったいない精神」なども自ずと培われてきた。
「お天道様に顔向けできない」などといいますが、何でもお見通しの太陽を敬う→いつ誰に見られても構わないふるまいをする→恥の文化にもつながっているように思います。

 

クリスマスに浮かれ、お寺の除夜の鐘を聞き、お正月には神社へ参り、お彼岸・お盆にはお墓参りをする。
そんな生活に疑問を感じないのは、仏陀もキリストも、八百万の神の一人ぐらいに思っているからではないだろうか。

 

『「日本の神様」がよくわかる本 八百万神の起源・性格からご利益までを完全ガイド』

 

『知っておきたい日本の神話』 

 

日本の神話  親から子へ語り継ぎたい

 

 

宗教というものをあえて意識させないほど、様々なことが日常生活に浸透している。
今年「トイレの神様」という歌が話題になりましたが、それ以前にも「トイレ掃除で会社が変わる!」みたいな自己啓発的ビジネス書がブームになったことがあります。それも「トイレの神様(弁天様?)」効果ってことですよね?

 

「トイレの神様」

 

 

『掃除道  会社が変わる・学校が変わる・社会が変わる』

 

 

 

『ツキを呼ぶ「トイレ掃除」』

 

 

あらゆる神様を肯定し、神社でもお寺でも教会でも、神聖な場所に行けば自然と頭をたれる。それが日本人のメンタリティ。
だから多くの日本人には、排他的一神教の、いわゆる「原理主義」というものが理解できない。
世界中の争いの多くが宗教を発端としていたり、今でも政治利用されていることなどを思うと、節操が無いといわれようが、多神教、結構なことではないかと思う。
胸をはってクリスマスに浮かれればいいと思う。

 

 

そして年末になると思い出すのが「まんが日本昔ばなし」の「貧乏神と福の神」のお話。
「貧乏」すら神としてあがめ祭ってしまう、このふところの深さ!どうよ?!

『決定版 まんが日本昔ばなし101 』


 

 

「まんが日本昔ばなし」DVD

子どもの頃、大好きでした。
今の子どもたちにも見せてあげたい。
悪いことをすればバチがあたるとか、弱者をいたわるとか、働き者・正直者は報われるとか、理論的に説明するのが難しい道徳的なことを伝えるのに、すごく良い教材だと思います。
再放送希望。いや、一生放送し続けてほしい。