▼2009 年 7 月 2 日 のアーカイブ

09.07.02

太宰治 生誕100年に『女生徒』を再読する

今年は太宰治 生誕100年。様々なイベントや映画化も続いていますね。
そして6月は、太宰が生まれた月であるとともに亡くなった月でもありました。
そんなMemorial YearのMemorial Month、久しぶりに太宰を読み返してみました。

 

私が太宰を読んでいた中学~高校時代、当時は太宰=「暗い」とか「自己憐憫に浸っているだけのエゴナルシスト」なんて言われがちで「太宰が好きだ」などうかつには口に出せない雰囲気がありました(; ̄□ ̄A。
でも今は、特に若者の間で「太宰肯定派」が多いようで、なんかうらやましいです。

 

太宰が広く若者に受け入れられるようになったのは、綿矢りささんが芥川賞受賞後に「太宰好き」を告白したことがきっかけだったのでは?と思っているのですが、どうでしょうか?
若くてキレイな娘さんだったから余計、その影響力は大きかったと思います。
そして『DEATH NOTE』風カバーの文庫なども出て、さらに拍車がかかったと。
だけど彼女がリスペクトする太宰自身はというと、当時創設されたばかりの芥川賞受賞に意欲を燃やし、切望し、能力もあったはずなのに結局受賞は叶わなかった。何だか皮肉ですよね。

 

太宰作品の中で特に有名なのは「人間失格」、「走れメロス」、「斜陽」あたりだと思います。
でも他の短編でもおもしろいものは多くて、中でも特に印象に残っているのが「女生徒」です。

 

「あさ、眼をさますときの気持は、面白い。」
そんな独白で始まる同作は、ある女生徒の、朝起きてから、夜眠りにつくまでの一日を描いたお話です。
日常の中でとりとめなく押し寄せ、流れていく感情。
思春期に特有の自意識過剰や潔癖さ、迷い、不安など、男性の太宰がなぜ?と思うほど見事に描ききっていると思います。

 

(以下、本文より部分的に抜粋)
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朝の私は一ばん醜い。
朝の寝床の中で、私はいつも厭世的だ。

 
二匹をまえに並べて置いて、ジャピイだけを、うんと可愛がってやった。
カアは、悲しくて、いやだ。可哀想で可哀想でたまらないから、わざと意地悪くしてやるのだ。

 
その労働者たちは、いつもの例で、言えないような厭な言葉を私に向かって吐きかける。

 
けれども、私がいま、このうちの誰かひとりに、にっこり笑って見せると、たったそれだけで私は、ずるずる引きずられて、その人と結婚しなければならぬ破目におちるかも知れないのだ。女は、自分の運命を決するのに、微笑一つでたくさんなのだ。

 
なぜ私たちは、自分だけで満足し、自分だけを一生愛して行けないのだろう。

 
プラットフォムに降り立ったら、なんだかすべて、けろりとしていた。

 
学校の修身と、世の中の掟と、すごく違っているのが、だんだん大きくなるにつれてわかって来た。学校の修身を絶対に守っていると、その人はばかを見る。変人と言われる。出世しないで、いつも貧乏だ。

 
自分が女だけに、女の中にある不潔さが、よくわかって、歯ぎしりするほど、厭だ。

 
それよりも、この空は、美しい。このお空には、私うまれてはじめて頭を下げたいのです。

「みんなを愛したい」と涙が出そうなくらい思いました。

 
客間のほうからお母さんたちの笑い声が、どっと起って、私は、なんだか、むかっとなった。お母さんは、私と二人きりのときはいいけれど、お客が来たときには、へんに私から遠くなって、冷くよそよそしく、私はそんな時に、一ばんお父さんが懐かしく悲しくなる。

 
いまに大人になってしまえば、私たちの苦しさ侘びしさは、可笑しなものだった、となんでもなく追憶できるようになるかも知れないのだけれど、けれども、その大人になりきるまでの、この長い厭な期間を、どうして暮していったらいいのだろう。誰も教えて呉れないのだ。

 
明日もまた、同じ日が来るのだろう。幸福は一生、来ないのだ。それは、わかっている。けれども、きっと来る、あすは来る、と信じて寝るのがいいのでしょう。

 
パタパタパタパタ、カアの足音には、特徴がある。右の前足が少し短く、それに前足はO型でガニだから、足音にも寂しい癖があるのだ。
カアは、可哀想。けさは、意地悪してやったけれど、あすは、かわいがってあげます。

 

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自分自身に対する自信のなさ、でもある時は他者と比較し優越感に浸ってみたり、美しいものに涙する。純粋さ、潔癖さゆえの批判や嫌悪感。そして自分を省みてはまた落ち込んでみたり。
多感な少女の一日なんて、そんなことの繰り返しだ。

 

でも今読んでみても「あ~、分かるぅ~」って感じなんですよねぇ。
成長していないということか?(^▽^;)
子どもの頃は、大人ってもっと「大人」だと思ってたんだけどなぁ。。。

 
太宰作品は既に著作権が切れており、ネットで全文を読むこともできますが、読んでみて「いいな」って思ったら本も買ってくださいね♪(他社さんのだけど)

 

新装版がいろいろ出てますね。

カバーデザイン:祖父江慎×カバー写真:梅佳代 ですって!
豪華コラボですねー。
『女生徒』

 

 

デカ文字でもどうぞ。

 

こちらもコラボです。
小説見開き2ページ+写真見開き2ページが交互に繰り返されます。

 

 

私生活では、何度も自殺や心中未遂を繰り返すなど波瀾万丈であった太宰。
幼少時に愛情を受けられなかったことが、彼の抱える生きづらさの根源であり、人生に影響を与え続けたといわれている。
紛れもない才能と純粋な心を持ち、その作品は死後何十年も愛されているというのに、彼自身は本当に充足した幸福感というものを手に入れることができなかったのだ。
悲しいです。

 

そんなことを考えていると、先日急逝したSUPER STARの顔が浮かんできました。
ここ数日「マイケル・ジャクソン 栄光の軌跡」的な特集がよく流れていましたが、その中で「彼は自分自身に対する自信というものが絶対的に無い人だった」と誰かが言っていました。虐待や金銭トラブルなど、彼の幼少期も問題が多くあったといいます。

 

子ども時代が幸せじゃなかった人間は、どうやってもその呪縛から逃れることができないのだろうか?
そうではない、と思いたい。
でも彼らだって、結婚し親となり、いわゆる「普通の幸せ」というものも模索しただろうし、彼らなりに努力はしていたはずだ。だけどうまくいかない。
どうやって生きていけばいいのか?誰も教えてはくれないのだ。

 
今になってCDやDVDが激売れです。
でも私もポチらずにはいられませんでしたー。・゜゜・(≧д≦)・゜゜・。
昨年、生誕50周年記念として出されたベスト・アルバム

「キング・オブ・ポップ-ジャパン・エディション」

  

80~90年代のビデオクリップ集

「ビデオ・グレイテスト・ヒッツ~ヒストリー」

 
世界最強にして伝説のライブらしい。
「ライヴ・イン・ブカレスト」

少年時代のすごく伸びのある高音ボイスや天使のような優しい歌声もいいですね。( p_q)
「ベンのテーマ ~ベスト・オブ・マイケル・ジャクソン 」

今年のクリスマスはこれを聴きます!
「クリスマス・ベスト」